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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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月報2012年3月号 神のことばに聞く
 バルセロナ日本語で聖書を読む会の月報第85号をお送りします。

聖書を読む会の定期集会は325日午後、主催者宅にてもたれ、ルカによる福音書の15節から25節を学びました。

 ヘロデ王の時代。

それは滅ぼされた先代ハスモン王朝の生き残りと、イスラエルの支配権を握るローマ帝国、ローマ帝国に服従する約束で王座を得たヘロデ王、ユダヤをユダヤとして指導しようと派閥闘争を続ける律法学者たち、そしてサンヘドリン(最高法院)が、それぞれの権力を主張してひしめきあう、ストレスの強い時代だった。 人々に神の言葉を伝えてくれる預言者の存在もマラキを最後に絶えて既に400年。国内は混乱を極めており、祭司たちは神殿での務めの度に、国の平定を祈っていたことが想像される。そしてこの日、アビヤの組が神殿の務めの当番となり、ザカリヤが聖所に入って香をたくことになって、大勢の民衆の祈る中、彼はひとり幕屋の中へと入って行った。


ザカリヤの妻エリザベトはアロン家の娘の一人。アロンはモーセの兄弟で、かつて神様から直接祭司職を任命されている。(出エジプト28:1 


つまり彼女は祭司職の名門一族の出身。夫婦そろって律法を隅々まで守り、怠ることはなかったが、エリザベトは不妊だった。不妊は当時、罪の因果であるとされていたので、これほど正しく生活しているのに何故子供が授からないのか二人には理解できず、周囲の視線が痛い日々を送っていた。


ザカリヤもかつては子が授かるよう祈ったが、年をとった今はそのことも忘れていた。


だから幕屋の中で天使ガブリエルが現れ、ザカリヤに子供が授かり、その子は主の前に偉大な人となることを、常々読んで祈っていたマラキ書にある言葉を用いて告げられたにもかかわらず、ただひたすら子供が授かるという内容に驚愕してしまった。     

 (スペイン・アビラにあるザカリヤ像)

「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています」


 神からの言葉があったとき、その言葉を確信するためのしるしを求めた人物はこれまでにも非常に多く、ザカリヤの気持ちももっともだが、天使は神の言葉の内容よりも、子供が授かるということに驚き不信を抱いてしまった。


そのザカリヤに対し、天使は、罰も含めて口がきけなくなるというしるしを与えた。


香をたき終えた祭司は幕屋から出た時、そこで祈りながら待っていた人々に祝祷を捧げることになっていたが、長時間手間取ってようやく出てきたザカリヤは、それすらできなくなっていた。


 1週間の勤めが終わって自宅に帰り、妻エリザベトに事の次第を知らせた時、彼女がどのような反応を示したか聖書には書かれていない。しかし、彼女は5ヶ月間自宅に引きこもった。


妊娠中、初期につわりが起こるのが普通だが、この症状がないケースもかなりある。その場合は妊婦自身、自分が本当に妊娠しているという実感がないが、5ヶ月目に入ると胎動を感じ、この事実を確信できるようになる。恐らくエリザベトはその時期まで沈黙を守ったのだろう。胎児の動きに気付いた時の喜びはどれほどだっただろうか。彼女の気持ちは125節に心からの神への感謝の言葉となって表現されている。


【下山牧師のメッセージ】

イスラエルの慰め(2:25)やエルサレムの贖い(2:38)を祈るザカリヤの姿は「正しい」人のあるべき姿でした。しかし取税人の祈りのように「正しさという信仰」は強い自己主張を伴っているようです。そこに聞くという姿勢が抜け落ちているからです。ザカリヤが「声を失った」のは、聞くためでした。「正しい」ユダヤ人としての自己主張のあり方から、「神様のことばに聞く」世界へと招かれたのです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみ言葉によるのです(ロマ10:17)」私たちも聞く信仰を培いたいですね。                           

3月の集会参加者は大人4人でした。


ヘロデ大王 よもやま話:


紀元前73年、パレスチナ南部の生まれで両親はアラブ人。

アンティパトロスは紀元前47年にジュリアス・シーザーの信頼を勝ち得てユダヤの監督者に任命され、彼の死後、ユダヤを統治していた(つもりの)ハスモン王朝の反対を押し切って、ローマ議会は息子ヘロデを王として前39年に認めた。しかし彼が実際権力の座を得たのは2年後の前37年。

ヘロデはハスモン王朝の姫マリアムナと結婚してユダヤとの関係改善につとめたが、最終的には自分の王座をおびやかすハスモン王朝の末裔全員を処刑している。これには妻と、妻との間にもうけた二人のわが子をも含んでおり、後にマタイ福音書216節に記録されてある、新生児男子の全員虐殺を命じたヘロデの人格がうかがわれる。

ヘロデの執政のはじめは2グループのユダヤ党(サドカイ派とパリサイ派)の敵対関係と、ヘロデに敵意を抱くハスモン王朝の生き残りがエジプトの女王クレオパトラと提携して抵抗したので難航した。

ヘロデは最高法院の指導的なレビ族祭司たちを迷わず処刑して最高法院の影響を弱め、以来、法院は宗教的な問題のみを裁くようになっている。

紀元前25から13年までは充実した国政となり、エルサレム、エリコ、カイザリアに劇場や競技場、皇帝アウグストを讃えてスタートした娯楽会場Circoなど、多くの建築物を建立。アラブからの襲撃からユダヤを守るための砦を堅固にし、ユダヤ教の教えに忠実に従ってエルサレムの寺院の大改築も手掛けた。

実際にユダヤ教徒として生活したが、この王が外国人であることとローマになびいている点で国民に憎まれ続け、晩年は王宮内の陰謀にも振り回される苦い時期だった。紀元1年(あるいは4年)3月か4月にエリコで死去。


お知らせ:

次回の聖書を読む会集会: 428日(土)午後430分から 主催者宅にて4月の集会には、ロンドンから若手の伝道師、江尻剛先生にお越しいただいてメッセージをとりついていただきます。集いでおなじみのとっても楽しい剛先生。ぜひ皆さん奮ってご参加ください。特に若い方にはぜひお薦めです!楽しいひとときと夕食交流を持ちましょう。

震災から1年がたちました。先月いただいた『百万人の福音』3月号には、被災地の教会から10件の証が寄せられていました。そのうちの一つは私たちが心からの祈りをささげる気仙沼第一聖書教会でしたが、どの証にも、「東北であまり地元に溶け込めずにいたキリスト教会が、復興活動のために場所を提供したり、積極的なサービス提供の場となったことで、地域に受け入れられるようになった」という内容が書かれていました。これからも被災地の復興は続きます。ぜひ今後も可能な限りの支援活動と、お祈りによるサポートを提供していきたいと願っています。

201282日から5日まで、オランダにてキリスト者の集いが今年も開催されます。毎年欧州各地(日本や北米からも)から参加者が300人前後も集まってワイワイと過ごすこの集い。新たな友人を得たり旧友と再会しながら友に聖書のみ言葉に耳を傾ける恵みは言葉では言い表せない恵みに満ちています。今年の参加申し込みは416日から30日まで。参加して後悔した人はいません。ぜひ前向きにご検討ください。資料をご希望の方は主催者までメールください。


| ルカ福音書研究 | 19:19 | - | - |
月報2012年2月号 『信仰がよろめくことがないように』
主の聖名を賛美します。 バルセロナ日本語で聖書を読む会の月報第84号をお送りします。 

聖書を読む会の定期集会は2月18日午後、主催者宅にてもたれ、ルカの福音書の学びをスタートしました。この学びを始めるにあたり、神戸の西神聖書教会牧師である下山尚孝牧師のご指導をいただく許可をいただきましたので、今回の学びには下山師のメッセージが盛り込まれています。主催者と同じ苗字ですが、親戚筋ではありません(残念ながら)。

  信仰がよろめくことがないように 

(ルカによる福音書1章1節から4節) ルカがこの書簡をテオピロ“閣下”に宛てて書いたのは、紀元58とか60年ごろと言われている。テオピロはこの福音書以外の文書に名前が出てこないので、「クラティストス=閣下」という尊称を持つローマの高級官僚のなかでもあまり目立たない存在だったと思われる。しかしルカは、キリスト教に多少触れたと思われる彼に向い「お受けになった教えが確実なものであることを、よくわかっていただくために」この書を献上すると明記している。「確実なもの」、これは、その教えが頼るに足るものであるということで、原語では「よろめくことがない」という意味。ではイエスの目撃者ではないルカが、なぜこの政治家に、これほど熱心に書物を準備し献上したのか。その謎に思いをめぐらし、私たちは当時の現地の状況を探りました。  
ローマ帝国はシーザーの死後、オクタウィアヌスとティベリウスという、二代の皇帝の行政のもと安定していたが、第3代皇帝カリグラは、最初は国民に尽くす良い皇帝だったものの、2年もしないうちに国庫に積もる大金を見てから発狂してしまい、暴君となって議会と国民全員を恐怖に陥れた。皇帝に反論するものはすぐ処刑される恐怖政治がローマを振り回し、結局彼は観劇の最中、腹心の部下に暗殺された。

 議会はもう皇帝制度をやめようと主張したが、皇帝がいなくなると失職する親衛隊が武力で反抗、後継者としては唯一生き残っていたクラウディウスを皇帝に立てた。この皇帝は前評判「うすのろ」にしては、なかなか賢い良い皇帝ぶりを発揮したが妻に恵まれず、4人目の妻アグリッピナに毒殺されてしまう。アグリッピナはどうしても、クラウディウスの息子ブリタニクスではなく、自分の前夫との子であるネロを皇帝にしたいという野心に燃えていたのだった。 

ネロとアグリッピナを描いた金貨 

かくして皇帝ネロ(当時16歳)が登場するが、暴君で有名な彼は間もなく、政治にとやかく口を出す母親アグリッピナにうんざりして不良息子となってしまう。アグリッピナは息子を利用して政治の実権を握れないとわかると、今度は実の息子を見捨ててブリタニクスを持ち上げようとしたため、ネロが発狂。彼はA.D.55年にブリタニクスを、そして59年には母親も殺し、自分の妻も殺してしまい、側近の政治家たちも追放し、男妾奴隷と正式な結婚をし、ネロを批判した者、気に入らない者を全て殺したので、国はカリグラ皇帝時代よりも更にひどい恐怖状態に陥った。

この兆候が高じてネロがローマの大火をキリスト教徒のせいにして信者を惨殺するのは紀元64年。つまりルカ福音書はちょうどこの恐怖政治が激化していた只中で書かれたことになる。恐らく、この頃のキリスト教は、ローマの皇帝礼拝に傾く政情に深く悩まされていたことが想像される。
   皇帝ネロ 

こうしてみると、ローマの政治家のひとりであり、キリスト教に触れたテオピロに「信仰がよろめくことがないように」この書を記して献上したルカの、伝道者としての真摯な熱意が伝わってくる。たったひとりの魂の救いのために語りかけ、調べ、書物にまとめた熱意あふれるルカの書簡はその後、後世に読み継がれる福音書のひとつとなって私たちにも届いた。ここに私たちは聖霊の働きを感じ、一同でこの書簡の学びに深い興味を持ちました。 
(2月の集会参加者は大人6人でした) 


 皇帝ネロのよもやま話: 前頁で少し紹介したローマの皇帝ネロについて調べたエピソードをご紹介します。 

ネロといえば暴君、暴君といえばネロ。彼の母親アグリッピナは、彼を皇帝につけるためなら手段を選ばず何でもする野心家だった。全ての皇位継承者を政治から遠ざけてから夫のクラウディウス皇帝を毒殺し、自分の子ネロを即位させた。(54年10月13日)

 当時16歳だったネロには家庭教師として哲学者のセネカと親衛隊長のブッルスがついていて、彼らが摂政政治をしたので出だしは非常に好評、皇帝就任演説で元老院の絶賛を受けている。
哲学者セネカ

 しかし、じきに母親アグリッピナが国政に鼻を突っ込むようになり、息子である皇帝ネロを使って政治を振り回すようになる。これをうっとうしく感じたネロは悪友オト(後の皇帝)たちと夜遊び、暴行、恐喝、窃盗を繰り返すようになり、先帝の娘を妻に持ちながら解放奴隷のアクテという娘と恋に落ち、大スキャンダルを巻き起こした。 

するとアグリッピナはネロを見限って亡き夫の息子ブリタニクスこそ皇帝になるべきだったと豪語。ネロのような息子は往々にしてマザコン。彼は母に見限られて激怒。55年にブリタニクスを殺害し、母親をも殺害しようとする。

ところが母は一枚上手で、毎日解毒剤を飲んでいたのでネロの毒殺計画は3回失敗。プランを変えて母が乗る船を沈没させたが、アグリッピナは泳ぎが達者で死ななかった。ついに59年に親衛隊を母に送って刺殺している。 

その頃のネロは、右腕のセネカやブッルスの忠告にも耳を貸さなくなって彼らを追放。悪友オトも地方へ追放して彼の妻を自分の妻とした。しかし彼女が妊娠中、口論からネロが腹部を蹴って胎児もろとも殺してしまう。その後狂気にはしり、男妾を抱えるようになって奴隷の男と正式に挙式し、また大きなスキャンダルを呼ぶ。しかしネロを批判した者は全員即刻暗殺された。ネロがつくったのは恐怖が人々を支配する時代であった。 

64年7月19日未明、古代ローマの遺跡、チルコ・マッシモ競技場の1階売店から出火、売店付近に山積みされていた商品に燃え移り、強風にあおられて周囲の貧民住宅街(木造)に燃え移り、1週間燃え続けたあげくローマ市内のほとんどを焼き尽くした。ネロはこの大火のあと陣頭指揮をとって救援活動を行い、宮殿を解放して多くの仮説小屋を建て、食糧の値上げを制限し大量の小麦を被災者に配布、市内工事も急ピッチで進めたので2年後にはローマは以前にもまして立派になった。
 ローマの大火

 しかし市民はそのネロの功績を賞賛するどころか、「ネロが自分のために建てたかった黄金宮殿建立の土地をめあてに放火したのだろう」という噂が流れた。確かに焼け跡の一部を彼の黄金宮殿に当てがっていたが、これを聞いたネロは激怒、当時新興宗教として勢力をのばしていたキリスト教徒を放火犯人であるとし、信者を次々と捕えて非常に無残な方法で処刑した。こうして彼は、はからずも世界史上初のキリスト教徒迫害を記録してしまった。   


 お知らせ: 
 ✚ 次回の聖書を読む会集会は、3月25日(日)午後4時30分から 主催者宅にて持たれます。次回の集会では、引き続きルカによる福音書を学び、その後カレーで交流します。ぜひご一緒にひとときを過ごせれば幸いです。

 ✚ 今回の聖書の学びからご指導をいただくことになった下山牧師は、主催者と苗字が同じですが偶然の一致です(ちなみに奥様は名前まで同じです)。インターネットで下山牧師のサイトを見つけて以来、何度もデボーション時に愛読させていただきましたが、ルカによる福音書と使徒行伝のメッセージが全て掲載されているため今回のご指導をお願いし、受け入れていただけたものです。今月号には紙面スペースの関係で下山師のメッセージ要約を載せることができませんでしたが、集会ではほぼ全文を皆で読ませていただきました。この場をお借りして、先生に心から御礼申し上げます。なお、下山牧師のサイトは次のURLになります。http://kobetouka.com/

 ✚ 欧州にも何人かの宣教師を派遣してくださっているアンテオケ宣教会のメンバー、H.M.姉が観光でバルセロナに来られ、集会にミニ聖書3冊と『百万人の福音3月号』、『Revival Japan 2月19日号』、その他お菓子の差し入れをいただきました。どれも集会で大いに活用させていただきます。本当に有難うございました!日ごろのお祈りにも心から感謝しています。どうぞ今後とも引き続き宜しくお願いいたします。 なお、今回いただいた『百万人の福音 3月号』には、東日本大震災から1年経って、被災者である方々や教会の経験談が多く掲載されています。とても素晴らしい証です。回覧しますのでぜひご一読ください。

 ✚ 4月の集会はロンドンから江口剛伝道師をお招きして、4月28日(土)に持たれる予定です。江口師は特に若い人たちに人気の楽しい先生ですので、皆さんぜひご友人とお誘い合わせでいらしてください。
| ルカ福音書研究 | 18:36 | - | - |
野心の実
 



ユダ王国が誇るヨシヤ王が、エジプト軍の放った矢に貫かれて戦死した。ヨシヤ王はアッシリアに頭の上がらない立場にはあったものの、一応ユダ王国を独立国として保つことに成功していたのだが、エジプトに負けてからユダはエジプトの支配下に入れられてしまった。

 

エジプトの王ファラオ・ネコは、ヨシア王の長男ヨアハズを、ユダの王として即位させた。自国の王になったとはいえ、ヨヤハズの使命はエジプト王国の属国民としてユダの民をまとめることである。しかし、ヨアハズは自国の再起を願い、すぐにエジプトに対して反乱を起こしてしまった。結果、彼はエジプト軍に捕らえられ、エジプトへと送還されてしまう。

 

ふたたび王を失ったユダに、ファラオ・ネコはヨアハズの兄弟エルヤキムを選び、その名をヨヤキムと改めさせて即位させた。しかし、ヨヤキムもまた野心に燃えた男だった。彼も兄と同じようにユダ独立を図って着々と準備を始めた。

 バビロニアに降伏するネコ2世


その頃、エジプト軍はカルケミシュでバビロニア軍と戦って敗れ、再びユダを通って南へ、シナイ半島へとバビロニア軍によって後退させられてきた。そしてこの時から、ユダ王国はバビロニアの支配下となった。支配国が変わっても、ヨヤキムはそのままユダの王位にとどまった。

 

ヨヤキムの独立計画はそのまま続けられた。今度の目標は打倒バビロニア。そしてこのターゲットはエジプトも同じであったので、ヨヤキムは密かにエジプトの援護を要請して、一緒に戦ってバビロニアから自由になろうと願い、ラマト・ラヘル(恐らく聖書のベト・ハケレム)に壮大な宮殿を建てた。

 

ただし、独裁的なヨヤキム王はこの宮殿建築に、人民を無償でこき使ってしまった。王は民の反感を買い、エレミヤはこの王の行為を非難してこう言った。

 

       災いだ。恵みの業を行わず自分の宮殿を

       正義を行わずに高殿を建て

       同胞をただで働かせ

       賃金を払わない者は。

       彼は言う。

       「自分のために広い宮殿を建て

       大きな高殿を造ろう」と。

       彼は窓を大きく開け

       レバノン杉で覆い、朱色に塗りあげる。

       あなたは、レバノン杉を多く得れば

       立派な王だと思うのか。

       あなたの父は、質素な生活をし

       正義と恵みの業を行ったではないか。

       そのころ、彼には幸いがあった。

       彼は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き、

       そのころ、人々は幸いであった。 

       (エレミヤ書2213-16節)

 




しかしヨヤキムはエレミヤの進言に耳をかさなかった。こうして3年が経ち、ヨヤキムが準備が整ったと感じたころ、バビロニア王ネブカドネツァルがヨヤキムの計画を察知した。

 

当然、このような反逆行為は即刻抑えられるべきである。ネブカドネツァルは、まずユダの近隣諸国を扇動してユダを東から攻め、バビロニア軍をエルサレムへと進軍させた。紀元前598年、エルサレムはバビロニア軍に包囲され、攻撃を受けた。この時、ヨヤキムは自国民で形成した軍をもって反撃を命じたが、これまでの積もり積もった王への憎しみは、ヨヤキム王への攻撃となってしまった。ヨヤキムはこの時、エルサレムの城内で死亡している。

 

     ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムについて主はこう言われる。

     だれひとり、「ああ、わたしの兄弟、

     ああ、わたしの姉妹」と言って彼の死を悼み 

     「ああ、主よ、ああ陛下よ」と言って、悼む者はいない。

     彼はろばを埋めるように埋められる。

     引きずりだされて投げ捨てられる。

     エルサレムの門の外へ。

     (エレミヤ書2218-19節)

 

ヨヤキムが死ぬと、彼の息子ヨヤキン(18歳)が慌ただしくユダの王に即位した。彼の最初の仕事はバビロニアへの降伏宣言だった。そしてヨヤキン王の家族を含む、王国の上層階級の人々、勇士1万人、職人や鍛冶など有用な人物らはすべてバビロニアの地へと連れられて行き(紀元前597年。第1次捕囚)、ただ貧しい民、弱い民だけがエルサレムに残された。(列王記下24:14

 

ヨヤキムの野心の結果であった。

| ダニエル書研究 | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
私たちいったいどこへ行くの?

 

第二次世界大戦中のこと。戦況は悪化し、イギリスの各地が爆撃の目標とされていった。こうした事情をみた英国国王は

「ロンドンの危険地区に住むすべての子供達を強制的に疎開させるように」

という指示を出した。

 

親も一緒に疎開できればそれに越したことはないが、街を守る義務もある彼らはロンドンに残らなければならない。多くの子供達が親から離れて疎開することになっていった。

 


当然のことながら、子供たちは今まで親と離れてくらしたことがなかったから、子供たちは不安と恐怖にかられ、怒りをぶつけた。ただでさえ恐怖に満ちた戦争中のこと、親も胸を割かれる思いだった。それでも子供の安全を考えると他の選択肢はない。

その夫婦もまた、子供たちの疎開の準備をして駅へ向かい、幼い兄弟を列車に乗せて慌しくも暖かいキスをし、涙をこらえて別れを告げた。

「兄弟ふたりで一緒にいるのよ。離れちゃだめよ。きっとすぐ私たちもそちらに行くからね」


 

愕然とする兄弟を乗せた列車が動き始めるとすぐ、妹は胸いっぱいの不安と悲しみにこら切れずに泣き始めた。「お兄ちゃん怖いよ。私達いったいどこに行くの?」

 

幼い兄もまた胸の内は同じだったが、一緒に泣きたいのを必死にこらえた。そして妹を励まし自分を鼓舞するために涙をぬぐって妹を抱きしめ、言葉を捜した。

「僕もどこへ行くのかわからない。でもね、王様はそれを知っていらっしゃるんだ。だから大丈夫。心配しなくて大丈夫だよ・・・」



今、私たちは戦争時代を生きてはいないが、この少女と同じように「これからどうなるんだろう、どこへ向かって進んでいくのだろう」と不安に駆られる状況に陥ることは多い。しかし、王である神が行き先を常にご存知であることを忘れてはならない。

毎日の歩みの内に危機的状況が起こった時、主に信頼する者は主の導きを信頼して冷静でいることができる。主は彼が導くことのできない場所へ私達を連れて行くようなことはなさらないのだから。

Robert Velert師のコメントより抜粋

またご無沙汰してしまいました。どのようなクリスマスを迎えられたでしょうか。年末にあたって物騒なコメントをご紹介しましたが、新年が主の強い腕に導かれた、祝福された1年となりますよう、スペイン・バルセロナよりお祈りしています。

| メッセージ | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
揺らぐ王国ユダ
 父王が家臣に殺された時、息子ヨシヤはわずか8歳の少年であった。

ヨシヤの父も、そして祖父も、ヤハウェの神にそむいた人生を送り、罪を重ねた王たちだった。特に祖父マナセ王が犯した罪は重かった。ユダの王の中では治世が最長だったマナセ王は、神殿の中に異教の祭壇を築き、偶像を設置し、自分の子供を火で焼き、自国民を次々と殺してエルサレム中を血の海とした。ユダ王国史では最悪の王と評価されている。

「マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を おさめようとはなさらなかった」(II列王記 23:26) と聖書にもある通り、主はマナセのしたことを赦そうとはなさらなかった。そしてついにユダを敵の手に渡すことを決意されるに至った。(II列王記 21:14)

            マナセ王が建てた偶像を引き倒すヨシヤ王の改革

主の決意は絶対だが、そのような神の決意を知らない少年ヨシヤは、父王を継いでユダの王に即位した(前639年)。幸いなことに、まだ純粋な心をもった彼には神を敬う母と、祭司である母方の祖父がいた。彼は16歳の時にダビデの神を求めはじめ、20歳になると国の改革に着手した。ヨシヤ王は主の前に正しく歩み、父たちが建てた偶像を一掃して主の神殿を再建した。国民は長い間の悪政から神に立ち返る精神をすでに失ってしまっていたため、改革はうまく進まなかったが、それでも彼はあきらめなかった。

そのころ、アッシリア地方にスクテヤ人という野蛮な民族が怒涛のように侵入し、アッシリア中を荒らした。そして弱まったアッシリアを見て、好機とばかりバビロニアたアッシリア方面に進軍しはじめた。これを察知したエジプトも、バビロニアの西方拡大を阻止しようと、ユーフラテス川方面に北上した。



エジプト軍の北方遠征の通り道となるユダ王国は、当時アッシリアの支配下にあったので、立場上アッシリアに援軍しなければならない。そこでヨシヤ王はメギドでエジプトを迎え撃つことになった。

メギドはガリラヤ湖の南西約40Kmにある交易都市。ヨシヤ王はここに防御線を展開し、万全の準備を整えた。エジプト王ファラオン・ネコ(Nekau)にとって敵はユダではなかったのだが、攻撃を仕掛けてきたヨシヤ王に向かって矢を放ち、ヨシヤを射殺してしまった。ユダとエルサレムの全ての人たちはヨシヤ王の死を心から悼み、預言者エレミヤは彼を悼んで哀歌を作った。この哀歌は今日まで歌い継がれている。(歴代下35:20-25)

この時からユダは、今度はエジプトの支配下になり、ヨシヤ王の子、ヨアハズが即位した。



さて、シリア・パレスチナ地方の覇権を獲得したエジプト軍さらに北へ北へと進軍し、ついにユーフラテス川沿いにあるカルケミシュでバビロニアと対峙、ここで激戦を繰り広げた。しかし、ついにエジプト軍がネブカドネツァル率いるバビロニア軍より不慮の攻撃を受けて敗北し、南へと押し返されてしまった。(前605年)

カルケミシュの戦いに向けて進軍する前、エジプトはシリアまでを領土に持っていたが、この戦いに負けたことにより、ネブカドネツァル王にシナイ半島まで押し返され、ユダ王国はバビロニアの支配下にはいった。


今は見当たらないが、古代の地図にはシナイ半島の東に「エジプトの川」という名の川が流れている。ネブカドネツァルに敗退したエジプト軍はこの川の向こうまで押しやられ、ここに国境を敷かれた。このエジプトの国境は、驚いたことに現在もそのままの位置にある。メソポタミア地方の国々の国境はすべて、過去の形跡が見られないほどに書き換えられたというのに、この国境線だけは紀元前600年から微動だにしていない。そしてこのことは聖書に預言されていた。

エジプトの王は自分の地から再び出てくることがなかった。バビロンの王が、エジプトの川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王のものであった全ての地方を占領したからである。(列王下24:7)

主の御言葉は、確かにこの社会に実現されている。


捧げものをするファラオ・ネコ



歴史を調べ始めると、おもしろくてつい余計なことまで調べてしまう性格が邪魔をして、ダニエル書の公開が遅々として進んでいない点、お詫びします。ただ、バルセロナ日本語で聖書を読む会では、この学びを全員「面白い」と感じいて、背景を丁寧に学びながら興味深く読み進んでいます。次回はようやくダニエル書1章1節に登場するヨヤキム王のエピソードです。

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、聖書が語りかけてくださいますように。



| ダニエル書研究 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
アッシリア、バビロニア、エジプト、そしてユダ
 


古い時代のこと。メソポタミア(現在のイラン・イラク地方)にバビロニア帝国が誕生した。王は、あの法典で有名なハンムラビ王。紀元前1763年のことだった。当時の芸術品を見ても、この第一バビロニア帝国のレベルの高さには驚かされる。相当な文明大国だったに違いない。しかし、紀元前1700年代後半に全盛を期したこの帝国は、1600年代になるとぐらつき始め、1595年に王朝の終わりを見ることになった。

この後、資料もろくに残されていない混沌としたメソポタミアが歴史を重ねるが、第一バビロニア帝国がある頃から、周辺の大国といえばアッシリア帝国、メディア帝国、エジプト王国であり、これらに挟まれるようにして、神が選んだ民の国、イスラエル・ユダ王国があった。


バビロニアとアッシリアの間には、互いの国を強大にするための領土争いが絶えなかったし、エジプトも機会があれば北上して領土を広げたが、ユダは自国を守るのが精いっぱいの弱小王国。しかも国は内乱の末に北と南に分裂してしまっていた(紀元前922年)。

旧約聖書を読むとよくわかるが、国王が神にそむくと国は弱体化し、国王が神の前に正しい者だと国は繁栄する。北イスラエル王国も南ユダ王国も、それぞれ悪王が続出するようになって国民が振り回され、国力は弱まった。そしてまず北イスラエル王国がアッシリアに敗北して民族ごとアッシリアへ連れて行かれ(紀元前721年)、南ユダ王国もエジプトの支配下に入れられ、弱体化の一途をたどっていた。

ところで、このバビロニアの周辺に住む部族のひとつにカルデア人があった。このカルデア人は知的レベルが高く、魔術に精通していた上、好戦的であったらしい。アッシリアは一旦このカルデアを征服したが(紀元前640頃)、その4半世紀後の紀元前612年、カルデア人がメディア人と協力して反乱を起こし、都市ニネヴェを占領、アッシリアを破って再びバビロニア帝国をメソポタミア史のヒノキ舞台に押し上げた。第二バビロニア王朝の発足である。



新バビロニアの建国がカルデア人の武力によるところ大であったことから、この国はカルデア王朝となった。初代国王はナボポラッサル(在位:紀元前625-604)。このナボポラッサル王の息子が次の王、ネブカドネツァル2世であり、ダニエル書の1章1節から4章の終りまで登場するバビロンの王である。



ベルリン博物館にあるネブカドネツァルを浮き彫りにしたカメオ
「主メロダクのtめに、バビロン王ネブカドネツァル、その生存中にこれを作らせる」
との銘が刻まれている


ダニエル書の学びのまとめ第一回は、歴史背景の説明に尽きてしまいましたが、メソポタミアに詳しい方はたくさんいらっしゃると思うので、このような簡単な説明では満足されない方も多いことでしょう。でも、メソポタミアを初めて旅する方たちには、ダニエルの時代を少しでも感じていただけたらと願っています。次回もダニエル書1章1節の背景を中心にした記事になりますが、この度はもっと動乱の時代のドラマです。お楽しみに。

今日、このブログを訪れてくださったあなたが、今日も主の前に正しく歩めますように。

| ダニエル書研究 | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
3人の王子
 

ある国の王に3人の息子たちがいた。息子たちはそれぞれ立派に成長し、王は年をとった。そこで王は彼らのうちの一人を選んで王位を継がせようと考え、3軒の立派な館を立てて言った。

大邸宅


 

「息子たちよ、この館を1軒ずつお前たちにあげよう。そして明日、太陽が昇ったときから沈む時までの間に、自分の館を何かで満たしなさい。何でも良い。私は夕刻お前たちの出来栄えを見て、誰を王にするかを決めよう。」

 

王子たちは考えた。広々とした1軒の館を満たすためにはどうすれば良いか。一晩中彼らは考え続け、ついに夜が明けた。

 

長男は畑に走っていき、大量の藁を持ってきて館に運び込んだ。軽いし詰め物としては最適だと考えたのだ。彼はせっせと畑へ行き、藁をもって館に走ってきてはまた畑へと走り去った。


 

二男は汗して働く兄を見て呆れ、時々彼の藁を失敬して自分の館に持って入った。

 

三男は夕方近く、ひとつの木箱を小脇に抱えて館に入って行った。

そして日が暮れた。

 

王はまず長男の館を訪れた。彼の家には藁がいっぱい詰まっていたが、やはり1日だけでは足りず、まだ何もない部屋が残っていた。王は彼の努力を誉め、疲れをねぎらって館を出た。

 

二男の館に入った王は驚いた。新築したばかりの家の壁がまっくろに汚れていたのだ。二男は行った。「父王よ、私はこの館を煙で満たそうと思ったのですが、館を充満した煙はとっくに消えてしまい、あとはこの有様です。」王はうなずき、息子の肩に手を置いて館を後にした。

 

三男は玄関で王を待っていた。「ようこそお越しくださいました。どうぞお入りください。」招き入れられて王はもっと驚いた。家の中の各部屋にはろうそく(*)が灯され、家中が温かい光で満たされていたのだ。王は息子のアイデアをたいそう喜び、王位継承者を決定した。

 

神は、私たちが社会のために一生懸命働くよりも、手を抜いて一攫千金を狙うよりも、人の心に温かい火を灯す行いをこそ喜ばれる。   
Roberto Velert師のメッセージより抜粋)

 

*)ろうそくは、わが身を削ってこの世を照らすという点でキリスト教の
   シンボル

| メッセージ | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
女が強くなるとき
 本当に長らくご無沙汰してしまいました。一旦サボると結構腰が重たくなるものだな、と自分の弱さをかみしめています。久しぶりの今日は、エステル記の学びの最終回のまとめをお送りします。

くじ(プル)によって定められた宿命の日、アダルの月の13日が廻ってきた。かつての王の重鎮ハマンが決めたユダヤ人虐殺の日であり、今の王の重鎮モルデカイがこの策略に対して報復をすると決めた日である。

 ハマンとモルデカイ


この日までに、モルデカイは全国に知られる国の重要人物となり、政界の要人たちから丁重に扱われるようになっていた。しかし、それは彼がVIPだったからというより、これから行われるユダヤ人の報復を恐れてのことでもあった。

そして13日、全国のユダヤ人は結集して立ち上がり、彼らを絶滅させようと企んでいた人々の殺戮を始めた。国中に叫び声と泣き声がひびき、長い1日が終わるころ、首都スサだけでも死体は500体を超えた。


じっとこの日の終わるのを王宮で待った王妃エステルはどんな気持ちで1日を過ごしたのだろうか。夕刻、王はその日の報告を受けるとエステルに言った。

「まだ願いがあるか。あるなら応じてあげよう。」

この言葉の後に続くエステルの願いは、私たちにとっては意外だ。

「スサで、あともう1日同じことをさせてください。」

 王妃エステル


あの温和で美しいエステルの口から出たとは信じがたい言葉である。これは古くから制定されていたハンムラビ法典にも逆らう上、8章12節にある「これは国中どこにおいても1日だけと定められた」という勅書内容からも外れている。なぜエステルがこのような大胆な発言をしたか、今となっては分かる術もない。上品で物静かな女性でも、民族の危機にあって強くなったのだろう。とにかく、王はこれを認め、スサでは13日も同規模の殺戮が繰り返された。

ようやく事態は収拾され、ユダヤ人は生き延びてこの日を祝った。しかし、彼らは勝利を祝ったのでも、生き延びたことを祝ったのでもない。旧約続編にあるように、神の御業が成就したことを祝ったのである。

 ペルシアの首都スサの門


「神はご自分の民を心に留め、その御自分の遺産である民を義とされた。それゆえ、アダルの月のこれらの日、すなわちこの月の14日と15日は、ユダヤ人が神の前で、神の民イスラエルの間で、代々限りなく、集会をして喜び祝う日なのである」(F章9、10節)

当初は人のたくらみによって投げられたくじ(プル)が、神のご計画を実現する神のくじ(プル)となり、その結果、神が生きて働いておられ、神の民を護っておられることを証することができた。これを祝うのが、現在でもイスラエルで続いているプリムの祭りのはじまりである。

                       紀元前9世紀のプル

異文化の地に生きるとき、私たちはエステル達のように自分の信仰を貫く姿勢をどれほど実行できるだろうか。私たちキリスト者にとっては母国日本が異文化の地であると言っても過言ではない。地元の思想や習慣に流され、罪ある行為に走らずに祈り続けているだろうか。

もしそうでないならば、徹底的に自分の中のそうした部分を悔い改めて矯正し、執拗にもう一度悔い改めて叩き直す。そうする時、私たちの内に神が働かれ、神が生きておられることを証することができる。

今日、このブログを訪れてくださったあたなを、主が常に護ってくださいますように。

(次は、3人の王子のお話をご紹介します)

| エステル記の学び | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
Greenfield Village
私はカナダの神学校で学んでいるとき、北米をあちこち観光しました。中でも気に行ったのがグリーンフィールド・ヴィレッジです。


北米のデトロイト州にあるこの町は、州きっての観光地なので知る人も多いし、リピートして観光に来る人も多い所。この町にはライト兄弟ゆかりの自転車屋や、トーマス・エジソン博物館もあり、古き良き時代を再現したベースボール大会が催されたり、SL蒸気機関車も走るなど、1800年代をそのまま再現していて、まるで町そのものが「大草原の小さな家」の撮影現場のようです。


中でもこの町が最も目玉としている名所が、フォード・モーター・カンパニー。そう、ここはFord社の創業地なのです。町の中ではFordのクラシックカーが走り(馬車も走るが)、ヘンリー・フォードの実家や博物館を訪問できます。そしてFordはもちろん、町のバスも開発して提供していました。


さて、1800年代のアメリカと言えば、はっきりとした人種差別が特徴的でした。リンカーンが大統領になるのは1861年で、奴隷解放をテーマとした南北戦争はそのあとに勃発しています。アメリカは完全に白人優位の社会でした。そしてこの白人優位意識は、時代が変わっても人々の心の中から容易に消えることなく、社会に暗い影を落としていました。

1955年のある日、Rosaは仕事を終えてバスに乗りこみました。彼女は非常にくたびれていました。当時のバスは、前から半分が白人席で、後ろの方が黒人席と決まっていました。Rosaは白人ではなく、そして黒人席は満席でした。Rosaはがっかりしましたが、しかしそれ以上に肉体的な疲労に耐えられそうにありませんでした。彼女は意を決して空いている白人席に腰をおろしました。


運転手(もちろん白人)はすぐに気づいて発進するのをやめて彼女に吐き捨てるように言いました。
「そこはあんたの座る席じゃない。立ちなさい。」
しかしRosaは立ち上がる気力がない。
「席をあけないと、警察を呼ぶぞ!」
Rosaは抵抗しませんでした。疲れ以上に、こうした社会にうんざりしていたのです。
運転手は警察を呼び、警察官はRosaをバスから引きずり下ろして投獄してしまいました。

Rosaは投獄されるようなことをしたのか?

この問いはすぐに黒人達の心に湧きあがり、Rosaを開放するための運動はすなわち、黒人解放運動へと発展し、ついにはマルチン・ルター・キング牧師が立ちあがるまで大きくなっていきました。黒人の眼を覚ました事件となったのです。

この運動はどんどん発展し、今日、アメリカ合衆国では黒人がバスの座席どころか、大統領席にも座ることができる社会へと変えられました。

      

冷静に見れば、Rosaの決断は小さな決意だったかもしれません。しかし、このような小さな決心が起こされなければ、つまり、神の本に書かれていても人の目には見えないような小さな仕事がなされなければ、今日の私たちはないのです。

ひとりひとりが、神の御心である決意を実行できるように祈っています。

Roberto Velet 師のメッセージより抜粋
| メッセージ | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
カンザス議会

1996年1月23日、アメリカ合衆国カンザス議会がこの年の議会を始めようしていた。

基本的にキリスト教を基礎に置く米国議会では、年度初めの議会に牧師をひとり招いて祈りをささげる。この年、祈祷のために招かれた牧師は Joe Wright 師だった。ところが、「例年通りの開会の祈り」を期待して頭を垂れた議員たちの聞いた祈りは驚くべきものだった。


主よ、今日わたしたちはあなたの赦しと導きを請うため、御前に集いました。
私たちはあなたが、「災いだ、悪を善と言う者は」と言われたのを聞いています。
しかし、私たちはまさにその通りのことをしました。

私たちは精神のバランスを崩し、私たちの価値を変えてしまいました。
今ここに告白します。


私たちは真実であるあなたの言葉を嘲笑し、それを多元論と呼びました。
私たちはあなた以外の神々を拝み、それを多文化と呼びました。
私たちは背徳行為を保護し、これを自由なライフスタイルと呼びました。


私たちは貧しい人々から搾取し、これを自由分配と呼びました。
私たちは貧困者を顧みず、これを自己防衛と呼びました。
私たちは怠惰という言葉を言い換え、これを福利と呼びました。


私たちはまだ生まれてこない子供を殺し、これを選択と呼びました。
私たちは中絶主義者を打倒し、これを正当行為と呼びました。
私たちは子供のしつけを怠り、これを自尊心の促進と呼びました。


私たちはエネルギーを浪費し、これを政治的常識と呼びました。
私たちは空気を冒とくとポルノで汚し、これを表現の自由と呼びました。
私たちは祖先の時代に尊重された価値を嘲笑し、これを啓蒙と呼びました。


神よ、私たちを捜し、私たちの今日の心を見極めてください。
私たちをすべての罪から洗い清め、私たちを自由にしてください。
ここにいるすべての人々をを導き、祝福し、
彼らが、あなたの御旨に沿って的確に市民を指導できるうにしてください。

この願いをあなたの子、生ける救い主、イエス・キリストの名によって祈ります。

アーメン


この祈りは当然、論議をかもしました。
あなたは、この祈りをどのように受け止めますか。

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、神様の導きがありますように。



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