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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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私たちいったいどこへ行くの?

 

第二次世界大戦中のこと。戦況は悪化し、イギリスの各地が爆撃の目標とされていった。こうした事情をみた英国国王は

「ロンドンの危険地区に住むすべての子供達を強制的に疎開させるように」

という指示を出した。

 

親も一緒に疎開できればそれに越したことはないが、街を守る義務もある彼らはロンドンに残らなければならない。多くの子供達が親から離れて疎開することになっていった。

 


当然のことながら、子供たちは今まで親と離れてくらしたことがなかったから、子供たちは不安と恐怖にかられ、怒りをぶつけた。ただでさえ恐怖に満ちた戦争中のこと、親も胸を割かれる思いだった。それでも子供の安全を考えると他の選択肢はない。

その夫婦もまた、子供たちの疎開の準備をして駅へ向かい、幼い兄弟を列車に乗せて慌しくも暖かいキスをし、涙をこらえて別れを告げた。

「兄弟ふたりで一緒にいるのよ。離れちゃだめよ。きっとすぐ私たちもそちらに行くからね」


 

愕然とする兄弟を乗せた列車が動き始めるとすぐ、妹は胸いっぱいの不安と悲しみにこら切れずに泣き始めた。「お兄ちゃん怖いよ。私達いったいどこに行くの?」

 

幼い兄もまた胸の内は同じだったが、一緒に泣きたいのを必死にこらえた。そして妹を励まし自分を鼓舞するために涙をぬぐって妹を抱きしめ、言葉を捜した。

「僕もどこへ行くのかわからない。でもね、王様はそれを知っていらっしゃるんだ。だから大丈夫。心配しなくて大丈夫だよ・・・」



今、私たちは戦争時代を生きてはいないが、この少女と同じように「これからどうなるんだろう、どこへ向かって進んでいくのだろう」と不安に駆られる状況に陥ることは多い。しかし、王である神が行き先を常にご存知であることを忘れてはならない。

毎日の歩みの内に危機的状況が起こった時、主に信頼する者は主の導きを信頼して冷静でいることができる。主は彼が導くことのできない場所へ私達を連れて行くようなことはなさらないのだから。

Robert Velert師のコメントより抜粋

またご無沙汰してしまいました。どのようなクリスマスを迎えられたでしょうか。年末にあたって物騒なコメントをご紹介しましたが、新年が主の強い腕に導かれた、祝福された1年となりますよう、スペイン・バルセロナよりお祈りしています。

| メッセージ | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
3人の王子
 

ある国の王に3人の息子たちがいた。息子たちはそれぞれ立派に成長し、王は年をとった。そこで王は彼らのうちの一人を選んで王位を継がせようと考え、3軒の立派な館を立てて言った。

大邸宅


 

「息子たちよ、この館を1軒ずつお前たちにあげよう。そして明日、太陽が昇ったときから沈む時までの間に、自分の館を何かで満たしなさい。何でも良い。私は夕刻お前たちの出来栄えを見て、誰を王にするかを決めよう。」

 

王子たちは考えた。広々とした1軒の館を満たすためにはどうすれば良いか。一晩中彼らは考え続け、ついに夜が明けた。

 

長男は畑に走っていき、大量の藁を持ってきて館に運び込んだ。軽いし詰め物としては最適だと考えたのだ。彼はせっせと畑へ行き、藁をもって館に走ってきてはまた畑へと走り去った。


 

二男は汗して働く兄を見て呆れ、時々彼の藁を失敬して自分の館に持って入った。

 

三男は夕方近く、ひとつの木箱を小脇に抱えて館に入って行った。

そして日が暮れた。

 

王はまず長男の館を訪れた。彼の家には藁がいっぱい詰まっていたが、やはり1日だけでは足りず、まだ何もない部屋が残っていた。王は彼の努力を誉め、疲れをねぎらって館を出た。

 

二男の館に入った王は驚いた。新築したばかりの家の壁がまっくろに汚れていたのだ。二男は行った。「父王よ、私はこの館を煙で満たそうと思ったのですが、館を充満した煙はとっくに消えてしまい、あとはこの有様です。」王はうなずき、息子の肩に手を置いて館を後にした。

 

三男は玄関で王を待っていた。「ようこそお越しくださいました。どうぞお入りください。」招き入れられて王はもっと驚いた。家の中の各部屋にはろうそく(*)が灯され、家中が温かい光で満たされていたのだ。王は息子のアイデアをたいそう喜び、王位継承者を決定した。

 

神は、私たちが社会のために一生懸命働くよりも、手を抜いて一攫千金を狙うよりも、人の心に温かい火を灯す行いをこそ喜ばれる。   
Roberto Velert師のメッセージより抜粋)

 

*)ろうそくは、わが身を削ってこの世を照らすという点でキリスト教の
   シンボル

| メッセージ | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
Greenfield Village
私はカナダの神学校で学んでいるとき、北米をあちこち観光しました。中でも気に行ったのがグリーンフィールド・ヴィレッジです。


北米のデトロイト州にあるこの町は、州きっての観光地なので知る人も多いし、リピートして観光に来る人も多い所。この町にはライト兄弟ゆかりの自転車屋や、トーマス・エジソン博物館もあり、古き良き時代を再現したベースボール大会が催されたり、SL蒸気機関車も走るなど、1800年代をそのまま再現していて、まるで町そのものが「大草原の小さな家」の撮影現場のようです。


中でもこの町が最も目玉としている名所が、フォード・モーター・カンパニー。そう、ここはFord社の創業地なのです。町の中ではFordのクラシックカーが走り(馬車も走るが)、ヘンリー・フォードの実家や博物館を訪問できます。そしてFordはもちろん、町のバスも開発して提供していました。


さて、1800年代のアメリカと言えば、はっきりとした人種差別が特徴的でした。リンカーンが大統領になるのは1861年で、奴隷解放をテーマとした南北戦争はそのあとに勃発しています。アメリカは完全に白人優位の社会でした。そしてこの白人優位意識は、時代が変わっても人々の心の中から容易に消えることなく、社会に暗い影を落としていました。

1955年のある日、Rosaは仕事を終えてバスに乗りこみました。彼女は非常にくたびれていました。当時のバスは、前から半分が白人席で、後ろの方が黒人席と決まっていました。Rosaは白人ではなく、そして黒人席は満席でした。Rosaはがっかりしましたが、しかしそれ以上に肉体的な疲労に耐えられそうにありませんでした。彼女は意を決して空いている白人席に腰をおろしました。


運転手(もちろん白人)はすぐに気づいて発進するのをやめて彼女に吐き捨てるように言いました。
「そこはあんたの座る席じゃない。立ちなさい。」
しかしRosaは立ち上がる気力がない。
「席をあけないと、警察を呼ぶぞ!」
Rosaは抵抗しませんでした。疲れ以上に、こうした社会にうんざりしていたのです。
運転手は警察を呼び、警察官はRosaをバスから引きずり下ろして投獄してしまいました。

Rosaは投獄されるようなことをしたのか?

この問いはすぐに黒人達の心に湧きあがり、Rosaを開放するための運動はすなわち、黒人解放運動へと発展し、ついにはマルチン・ルター・キング牧師が立ちあがるまで大きくなっていきました。黒人の眼を覚ました事件となったのです。

この運動はどんどん発展し、今日、アメリカ合衆国では黒人がバスの座席どころか、大統領席にも座ることができる社会へと変えられました。

      

冷静に見れば、Rosaの決断は小さな決意だったかもしれません。しかし、このような小さな決心が起こされなければ、つまり、神の本に書かれていても人の目には見えないような小さな仕事がなされなければ、今日の私たちはないのです。

ひとりひとりが、神の御心である決意を実行できるように祈っています。

Roberto Velet 師のメッセージより抜粋
| メッセージ | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
カンザス議会

1996年1月23日、アメリカ合衆国カンザス議会がこの年の議会を始めようしていた。

基本的にキリスト教を基礎に置く米国議会では、年度初めの議会に牧師をひとり招いて祈りをささげる。この年、祈祷のために招かれた牧師は Joe Wright 師だった。ところが、「例年通りの開会の祈り」を期待して頭を垂れた議員たちの聞いた祈りは驚くべきものだった。


主よ、今日わたしたちはあなたの赦しと導きを請うため、御前に集いました。
私たちはあなたが、「災いだ、悪を善と言う者は」と言われたのを聞いています。
しかし、私たちはまさにその通りのことをしました。

私たちは精神のバランスを崩し、私たちの価値を変えてしまいました。
今ここに告白します。


私たちは真実であるあなたの言葉を嘲笑し、それを多元論と呼びました。
私たちはあなた以外の神々を拝み、それを多文化と呼びました。
私たちは背徳行為を保護し、これを自由なライフスタイルと呼びました。


私たちは貧しい人々から搾取し、これを自由分配と呼びました。
私たちは貧困者を顧みず、これを自己防衛と呼びました。
私たちは怠惰という言葉を言い換え、これを福利と呼びました。


私たちはまだ生まれてこない子供を殺し、これを選択と呼びました。
私たちは中絶主義者を打倒し、これを正当行為と呼びました。
私たちは子供のしつけを怠り、これを自尊心の促進と呼びました。


私たちはエネルギーを浪費し、これを政治的常識と呼びました。
私たちは空気を冒とくとポルノで汚し、これを表現の自由と呼びました。
私たちは祖先の時代に尊重された価値を嘲笑し、これを啓蒙と呼びました。


神よ、私たちを捜し、私たちの今日の心を見極めてください。
私たちをすべての罪から洗い清め、私たちを自由にしてください。
ここにいるすべての人々をを導き、祝福し、
彼らが、あなたの御旨に沿って的確に市民を指導できるうにしてください。

この願いをあなたの子、生ける救い主、イエス・キリストの名によって祈ります。

アーメン


この祈りは当然、論議をかもしました。
あなたは、この祈りをどのように受け止めますか。

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、神様の導きがありますように。



| メッセージ | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
双子の兄弟
10日ほど前に、3月下旬から翻訳し始めていたメッセージがようやく仕上がってアップロードしましたが、その記事は3月28日の記事としてアップされてしまい、トップページには現れませんでした。ですから、まるで1ヵ月半ぶりにアップする記事になってしまいます。遅くなって本当にすみませんでした。

今、カンサス議会で起こったことを訳しています。これはそれほど時間をかけずに仕上げられると思います。


ある所に双子の兄弟が生まれた。二人は当然のことながらとてもよく似ていたが、諸事情があって幼いころ、別々の家に引き取られて行った。

 

二人とも自分の兄弟のことは覚えていたが、お互い顔をみることもなく長い年月が経った。

そんなある日、弟が強盗殺人罪を犯して逃亡した。警察は彼を探し始めた。ずっと追い続けたが、弟も必死で逃げまくり、なかなか捕まらない。

そして警察がようやく捕まえた男は、何と逃亡者の兄だった。今のようにニュースが発達した時代ではなかったから、兄は弟のしたことなど何も知らなかった。当然のことながら、罪状を拒否し続けた。

「自分は無実だ。そんなことはしていない。」

 

しかし、警察の話を聞くにつれ、犯人が自分の双子の弟なのだと気がついた。彼はそこで自分には双子の弟があることを言って罪を逃れることができたかもしれない。しかし、そんな言葉も警察には浅はかな逃げ口上だと思われる可能性も高い。兄は独房で悩んだ末、弟をかばう決意をした。そして弟に代わって裁判に出頭した。

 

それから日がたったころ、その後も逃げ隠れる毎日を送っていた弟が、疲れ果ててとうとう自主を覚悟し、警察に出頭してきた。警察は彼の名前から裁判記録を探し出してこう言った。

「この件は既に容疑者も捕まって裁判も終了し、犯人は死刑に処されてある。ケースは終了している。」



弟は非常に驚いた。「その書類を見せてください!」警察官は断ったが、彼はその書類をむんずと掴んで犯人の顔写真を見た。そこにはまぎれもなく、幼いころ別れた双子の兄が佇んでこちらを見つめていた。

「そんな・・・!真犯人は私だ!私を処罰してください!この人は犯人ではない!」しかし、警察官は「彼は死刑に処されている。だから本件は終了しているんだ。もうお前は関係ない。帰りなさい」と繰り返すばかりで、頑として彼の言葉を受け付けなかった。

弟は愕然とした。彼が犯した重罪は、兄の犠牲の死によって全く帳消しにされていたのだ。

 

これと同じことが私たちにも起こった。

「あなたなんか知らない。話も聞きたくないし近寄りたくもない!」と言い放たれた者がどれほど傷つくか、私たちは理解しているだろうか。この言葉を投げかけられたために挫折し、立ち上がれず、自殺に追い込まれた人は数知れない。つまり、こうした言葉を投げかけたり、態度に出すことは殺人に匹敵するほどの重罪なのだ。



しかし私たちは、神様に対してこうした言葉を投げかけてしまった。

にもかかわらず、主イエスは私たちの知らないときに、私たちの代わりに裁判に出頭し、私たちに代わって死刑を受けてくださった。そして私たちの罪は今、まったく帳消しにされているのです。

3本の十字架



ハンブルグ日本語キリスト教会・井野葉由美師のメッセージより抜粋


今日このブログを訪れてくださったあなたに神様の豊かな祝福がありますように。

P.S. 現在バルセロナ日本語で聖書を読む会のホームページがアップロードできない状態になっています。なるべく早めに修理しますが、直るまでもうしばらかくお待ちください。次回の集会は6月28日(日)、主催者宅にて行います。

 

| メッセージ | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
私を愛するか
 すがすがしい ある朝、私は日の出を見ようと思って早起きした。
そして魂を洗われるような美しい景色に感動し、
「なんと素晴らしい光景なんだろう!この世に神の創造ほど見事なものはほかにない」
と、心から思った。


私は天地を創造された神を賛美しつつ、この美しい景色を飽きずに眺めた。
景色は次第に変化して、私を魅了してやまなかった。
そのとき、私は主が横に立って一緒におられるのを感じた。

やさしい春の風に乗ってきたように、静かな声が聞こえてきた。
「私を愛するか?」 と声は聞いた。
「もちろんです、主よ!
あなたは私の主、私の救い主です!」 と私は答えた。

すると主がふたたび聞いた。
「たとえあなたの身体に障害があっても、あなたは私を愛するか?」
私は当惑して、自分の腕、脚、そして体全体を見つめた。
今は簡単にできるあらゆることの多くができない自分を想像した。
「難しいかもしれません。でも私はあなたを愛するでしょう。」
私はそう主に答えた。


主はまた私に聞かれた。
「たとえあなたの目が見えなくても、あなたは私の創造を信じるか?」
目が見えなかったら、どうして主の創造を見ることができるだろう?
そして私は、目の見えない全ての人々に思いをめぐらせた。
そのような障害にもかかわらず、彼らの多くは神とその創造を信じている。
私は主に答えた。
「その状況を考えるのは難しいことですが、それでも私はあなたを愛するでしょう。」

主はまた私に聞かれた。
「たとえあなたの耳が聞こえなくても、あなたは私の声を聞くか?」
耳が聞こえなかったら、と私は一瞬考えたが、主の声を聞くのは耳ではない。
主の声は心で聞く。そこで私は即座に答えた。
「難しいことかもしれませんが、それでも私はあなたの言葉を聞くでしょう。」

主はまた私に聞かれた。
「たとえあなたの口が語れなくても、私の名を賛美するか?」
私は思った。言われてみれば聾唖だったらどのようにして主を賛美すればいいのか?
しかし声にならなくても、私たちの心からの、魂からの賛美を主は喜ばれる。
主を賛美するのに、必ずしも声は必要不可欠ではない。
仕える者として生きるとき、私たちは、仕える方として来られた主を見習うことにより、主に栄光を帰しているのだと気がついた。
そこで私は答えた。
「身体的な問題で歌うことができなくても、私は絶えずあなたの御名を賛美します。」


主はまた私に聞かれた。
「お前は真実に私を愛するか」
確信と信念をもって、私は真心から答えた。
「はい、主よ。あなたを愛します。あなたこそ唯一の本当の神だからです。」

私は主に、すべて的確な言葉で答えられた思った。
しかし主はまた私に聞いた。

「もし私を愛しているなら、なぜいまだに罪を犯し続けるのか?」
「それは・・・私が単なる人間であり、完全ではないからです。」

「それでは、ことが順調に進む時、なぜお前は私を離れるのか?
 なぜ苦しい時にだけ、私に祈るのか」

私は答えに窮した。そして目に涙があふれてきた。
神は続けて私に聞いた。

「なぜ教会や修養会の中だけでしか歌わないのか?
 なぜ賛美の時にしか私を捜そうとしないのか?
 なぜ利己的なことばかり私に願うのか?
 なぜ信じていないことをあれこれ私に頼むのか?」

私の目にあふれていた涙がこぼれ落ちた。

「なぜ、頻繁に私をはずかしめるのか?
 なぜ、私の福音を語らないのか?
 なぜ、苦しみの時に人からの慰めを求め、真に慰めようとする私に来ないのか?
 なぜ、私の名によって働く機会を与えようとすると、様々な言い訳を言うのか?」

私は理由を探した。しかし見当たらなかった。

「私はおまえの人生を祝福した。
 しかしお前は、この贈り物の価値を過小評価してしまった。
 私はお前に、神に仕えるための賜物を与えて祝福した。
 しかし、お前は私に背を向け続けている。

 私はお前に語った。
 しかしお前はその言葉から知識を得なかった。
 私はお前に語ったが、お前の耳はふさがれていたのだ。

 私はお前に祝福が見えるようにした。
 しかしお前の眼は一度もそれを見ようとしなかった。

 私はお前に預言者たち、使徒たち、使いの者を送った。
 しかしお前は座ったまま動かず、彼らが人々に拒否されていても動かなかった。

 私はお前の祈りを聞き、そのすべての祈りに答えた。
 お前は本当に私を愛するか?」

私は答えられなかった。どうして答えられるだろう?私は心底恥ずかった。
言い訳はひとつも見当たらなかった。何を言えば良いのか全くわからなかった。


私の心が涙とともに流れ出て、その流れは尽きなかった。
泣きながら私は言った。
「主よ、どうか赦して下さい!私はあなたの息子としてふさわしくありません」

そして主は私の言葉にこたえて言われた。
「これが私の恵みだ。お前は私の息子だ!」

私はその時主に問いただした。
「なぜ私を赦し続けるのですか?なぜそれほどにも私を愛されるのですか?」

「お前は私が創造したからだ」 と主は答えられた。
「お前は私の息子だ。私は決してお前を見捨てない。
 お前が泣く時、お前の気持ちを深く感じて、私はお前と一緒に泣く。
 お前が喜ぶとき、私もお前と一緒に喜ぶ。
 お前が悲しみに暮れるとき、私はお前の気持ちを喜びに変える。
 お前が転んだら、私はお前を立ち上がらせる。
 お前が疲れてしまったら、私はお前を腕に抱く。
 私は終わりの日までずっとお前と一緒に歩き、いつまでもお前を愛する」


私は今まで、こんなに泣いたことはないというほど泣きながら胸に思った。
私はどうしてこんなに冷たい者なのだろうか。
どうしたら、これほどの神の愛に応えることができるだろうか?

そこで主に聞いた。「私をどれほど愛しておられるのですか?」
主は私をその胸にきつく抱きしめてくださった。

その時、私は主の手に残る傷痕に気づいた。
私は、キリストであり救い主である主の足もとにひざまづいた。
そして、多分この時はじめて、本当の心からの祈りをささげた。

Roberto Velert 師のメッセージより抜粋


ずいぶん、この詩の訳に時間がかかってしまいました。でももしこの詩が読者の胸を打たなかったとしたら、それはとりもなおさず、私の翻訳がへたくそなせいです。
主が、直接あなたに語ってくださるよう、心をこめ、信じてお祈りしています。



| メッセージ | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
眼の治療
知る人ぞ知る、の部分もあるが、ここバルセロナは眼科医療で世界のトップクラスを誇っている。市内には眼科“だけ”の総合病院がいくつもあり、驚いたことにどこも満員状態である。

中でも最も有名なのは、BARRAQUER (バラケール眼科)だろう。1900年初頭から眼科医療に携わるバラケール一家が1941年に開設した病院で、非常にレベルの高い眼科医療サービスを提供しながら今に到っている。


バラケール眼科も地下から地上7階まで、迷路のような通路に沿ってびっしり診察室が並んでいる。そして待合室はどこもいっぱい。いつ行っても「こんなに沢山、眼を患う人がいるものだろうか」と圧倒される。

この病院では、受付を済ませて待合室で待っていると「XX様、こちらでございます」とホテルマンのような制服のお迎え担当者が呼んでくれ、診察室まで一緒に行ってくれる。ここで働くドクターの数は数知れないが、どの医師も大変礼儀正しく、にこやかに患者に接してくださる。こちらは病院へ治療に来た患者なのに、この待遇ですっかり高級ホテルに来たお金持ちの気分に浸ってしまう。

Dra. Barraquer にはもっと感動した。バラケール先生は普通の患者さんが待つ待合室の奥に、扉で仕切った別の待合室をお持ちである。案内係さんに「こちらでお待ちください」と通された部屋の中央には巨大が楕円形テーブルがあり、彫像や病院の記念品が展示されている。この待合室の奥には木製の大きなドアがあって、これが電動で左右にゆっくり開かれると、その奥にバラケール先生がいらっしゃるのだ。


世界的に有名なドクターとはどんな方かと期待して、ゆっくりと自動扉が開くのを待った。すると奥には小柄で朗らかな笑顔を満面にたたえた女医の先生が起立して私たちを迎えてくれ、まるで「会えて嬉しいわ」とでも仰るかのように進んで握手を求めてくださった。先生の右側にはずらりと白衣の研修医が並んでおられ、治療の一部始終を観察している。

「娘が成長期になって、視力が落ちたようなんですが・・・」

こんな立派な診察室で、こんな立派なドクターに、こんな理由で訪問してきたというのが恥ずかしいような気持ちを抑えて来院理由を伝えると、早速検査をしてくださり、「近視が始まっているようです。メガネの処方箋を作りましたから、これでぴったりのメガネを作ってあげてくださいね」と、以前にも増して愛らしい笑顔で励ましてくださった。

心が潤されるような、忘れられない通院の思い出となった。

世界中から患者が集まるこのバラケール眼科の調査発表のひとつに、「眼を患う患者は中近東国籍に比較的多い」というものがあるらしい。今も昔も、イスラエルやエジプト、アラビア半島によく起こる砂嵐などの気象現象も影響しているのかもしれない。聖書にも眼を患う人が何人も登場している。

      ←エジプトの砂嵐→    

主イエスがおられた当時は食事も医療も衛生も非常にレベルが低く、食あたりや水あたり、ばい菌感染による病気は日常茶飯事。水を飲むくらいなら、ぶどう酒のほうが、加工されている分よっぽど衛生的だった。

骨を折ってもきちんと骨接ぎをされることがないし、らい病や盲腸は得体の知れない死の病だった。そして、病気は 「本人または先祖の罪がたたったもの」 と考えられていた。こうなると病気になることも、治ることも不可抗力である。病人達は、自分達はもう治らないもとの半ばあきらめ、死をまちながら絶望の日々を送っていた。

主イエスは宣教活動を群集の中で繰り広げられたが、特に病人が多い所でご自信が何者であるかを示された。つまり、奇跡によって多くの病人を癒された。だから、病気から解放された病人は、体の苦しみから解放されたという以上に、律法的なしがらみからも解放されたことを実感した。

主イエスは絶望に生きる人々の体と精神を解放したのだ。
彼らは主イエスに心惹きつけられ、神の国への招きに応じていった。

私たちもまた、不況の中、困難の中、挫折感にさいなまれるとき、もうおしまいだと絶望しているときでも、主イエスに触れられて全ての問題から解放され、健康に生かされる希望があるのです。

Roberto Velert 牧師のメッセージより抜粋

今日、このブログを訪れてくださったあなたに主が触れてくださいますように。

| メッセージ | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
命のホットミルク
 ハワード少年は貧しい家庭に育ち、毎朝早起きして新聞配達のアルバイトをしなければ、学校に行くお金が足りないほどだった。


毎朝の仕事は、特に冬の間は厳しい。ある凍える朝、自転車で走り回っているうちに、本当に骨の隋まで凍ったかと思えるほど冷え込んでしまった。どうしても休憩が必要だと感じた彼は、いつも新聞を配る、ある家のドアのチャイムを鳴らした。

婦人が中から戸を開けると、冷気の中に真赤な鼻頭をした少年がいた。
「水を一杯いただけませんか。」
彼女は少年を中に通して台所に向かった。

婦人が台所から持ってきてくれたのは水ではなく、シリアルパウダーを入れたホットミルクだった。少年はちょっと躊躇したが、その暖かいホットミルクの誘惑は強く、少しずつ飲んで芯から温まった。生き返った気分だった。



「お礼はいくらになるでしょう」 彼はそういいながらポケットに手を入れた。ほんの少しばかりの小銭が指に当たった。

「いいのよ。いつも新聞を届けてくれてありがとう。」
婦人はそういって少年を送り出した。
彼は心からのお礼を述べ、ふたたび自転車に乗って仕事を続けた。

そしてかなりの年月が過ぎた頃、婦人は健康診断で癌を発見された。
地元の病院で治療を受けたが、彼女の癌は珍しいタイプだったので、大きな都市に転院した。しかしそこでもこの癌は医師の手に負えなかった。


ワシントンに Fred Hutchinson Cancer Research Center という、北米ではトップクラスの癌専門病院がある。ここはバルセロナ出身のテノール歌手、ホセ・カレーラスも白血病治療のために入院した病院である。カレーラスはこの病院に入院するまで、フランスでもバルセロナでも「治癒の確立は10%」と医師から宣告され、絶望的になって来たのだった。しかしこの病院の判断と手術でカレーラスは奇跡的に病気を克服した。ただし、さすがのカレーラスもその治療費には驚いたはずだ。            

  

この病院を婦人は考えた。請求費のことも考えた。しかし背に腹はかえられない。
結局、婦人はここに入院した。

彼女の癌は、やはりここでも難しいとされたが、それではこの癌を研究してみましょうというドクターが現れ、彼が献身的に婦人の治療に当たった。そして、婦人はカレーラスと同様、奇跡的に癌を克服できたのだった。

婦人は退院して自宅に着き、病院からの請求書を待った。
「きっとこの家を売ることになるわ」そう思うと、病気を克服した喜びと同時に、これからの不安も感じた。

請求書が病院から届いた。彼女はリビングに座って封を開けた。
そこには病院で受けた検査や治療の明細と治療費が長々とリストアップされており、最後に多額の請求費用が明記されてあった。しかし、その下にこうあった。

ホットミルクのお礼として返済済み。Dr. Howard

あの少年だった。彼はいつも新聞を配達していたお客の住所と名前をしっかり覚えていて、彼女を認識していたのだった。

ハワード医師はクリスチャンだった。しかし、彼はクリスチャンだったからこのような行為に出たのだろうか。私たちの中にはクリスチャンもいるが、そうでない者もある。しかし、ひとりひとりが彼のような暖かさを持って生きたら、世界はどれほど暖かい場所になるだろうか。

そして、このような働きを私たちクリスチャンから発信できたら、神はどれほど喜ばれるだろうか。



Roberto Velert牧師のメッセージより抜粋

今日、このブログを訪れてくださった方に、心温まる出来事がありますように。
| メッセージ | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
隣人

永遠の命。それは神の命を意味し、人は持ち合わせていない。これを得ることはすべての宗教の望みだろう。

主イエスを批判する機会を狙っていたしていた律法学者は「永遠の命をいただくためにはどうすれば良いでしょうか」という質問を投げかけ、主イエスはこの質問に、彼の得意とする律法を用いて答えを引き出させた。すなわち、神を愛すること、そして隣人を愛すること。これを実行しなさいと言われた。


それでは隣人とは誰か。人間の問題はいつもこの質問をすることにある。そこで主イエスは有名な『善きサマリア人』の話を始められた。

ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追はぎに襲われた。追いはぎはその人の服を剥ぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン金貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」 (ルカによる福音書10章30〜35節)


 


このたとえ話の中で襲われた旅人は、死を免れない状況の中で放置された。彼が倒れている所を通った祭司も、福祉事業を専門とするレビ人もこの旅人を無視したが、サマリア人が彼を助けた。当時、サマリア人とユダヤ人は現在のパレスチナ人とイスラエル人と同レベルの犬猿の仲だったから、これは驚くべき展開だ。

 

隣人とは誰か、という質問に対して答えられた主イエスの答えは、この話のあとで「誰が隣人か」という質問にすり替わっていた。これは実は大切なポイントである。

私たちは、自分に尽くしてくれる人、親切にしてくれる人、同郷の人など、私を幸せにしてくれる人を隣人だと思いたがる。一方で、自分の欠点は親のせい、社会のせい、周囲のせいだと責任転嫁をしがちなものだ。これは夫婦の間でも起こりうる。しかし、主イエスは人のせいにせず、相手がどのような人間であろうとも、あなたが彼の隣人になるようにしなさい、と言われたのだ。これは私に向けられた神様の命令であり、このことの責任は私自身にある。

 

私が相手を愛する。愛するというのはその人の心から湧くことであり、相手の親切に応えるということではない。相手が敵であっても、外国人であっても、貧乏人であっても、テロリストであっても愛することであり、それが本当に自由になるということである。と言うのは、自分自身を幸せにしようとしているうちは決して満足できないが、人を幸せにしようとすると毎日が幸せになるからだ。



つまり、自分の心に火をつけてもらうのではなく、人の心に幸せの灯をともす火付け役になる。

 

神様は生けるものすべてを、恋人のように愛されている。だからこそ、永遠に一緒にいられるよう、この世の生を終えたとき、天国で神の家族として迎えてくださる。天使の一人ではなく、家族の一員として。そして皆がそうなって欲しいと望んでおられる。

ただ、この永遠の命を私たちに与えるために、神はそのひとり子を十字架につけるという犠牲を払った。だから永遠の命を得るなら、少なくともイエス・キリストを信じること。それが条件である。

 

永遠の命を与えてくださる神は、私たちの必要の全てを与えて生かそうとされる。この神様の愛は神様の力から湧いた愛であり、これがクリスチャンの勇気である。だからクリスチャンの人生の目標は人に左右されず、損得を考えない人格に変えられることである。そういう人間になって、はじめて律法を守ったと言える。

盛永師のメッセージ要約


明けましておめでとうございます。
新しい年が、真に幸いな1年となりますように。

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ヘロデ王

 主イエスが生まれた当時、ユダヤを支配していたのはヘロデという王だった。



ヘロデは実に野心の強い王だった。ユダヤの王になることと権力者として評価されることは、特に彼の悲願だった。彼は独裁者として采配を振り、自分のために全てを手配し、邪魔者を追いやっていた。

ヘロデは、神から実に遠い存在だった。

そこへ、「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と、占星学者たちが尋ねてきた。自分以外にユダヤの王になる人間が生まれるなど、もってのほかだ。ヘロデの頭に血が上った。

よく考えてみれば、今生まれたばかりの赤ん坊が王になるには30年近くは要するはずだ。しかしヘロデにはそれが待てなかった。次の王の存在そのものが許せないのだ。そして大きな罪をおかした。

学者たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させたのだ。


ヨセフとマリアはちょうどそのころ、天使からの知らせによって事前にエジプトに逃れていたので生まれたばかりのイエスを死なせずにすんだが、これがイエスを殺そうとした最初の事件となった。

この後も、主イエスを殺そうとする人には切りがない。実際に手をくだすところまで行かなくても、彼を精神的に殺して行った人々は数知れないのだ。彼らはイエスを否定し、イエスの存在を無視し、イエスをだまし落そうとし、イエスを売り渡し、イエスの死を人事だと感じた。私たち自身にこのようなことをされたら、私たちは深く傷つき、挫折するだろう。

それでは聞くが、私たちは主イエスにどのように接しているだろう。
社会の権力や評価を求めるあまり、主イエスを脇に押しやっているのではないだろうか。
実は、私たちこそヘロデなのではないだろうか。

このクリスマスに、本当の意味で私たちが主の前にへりくだり、主の愛を心から喜んで受け入れることができるように祈っています。

パブロ・マルティネス師のメッセージより抜粋


クリスマスおめでとうございます。
このクリスマスに、主があなたの心を愛で満たしてくださいますように祈ります。

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