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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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めぐみ

 11月のバルセロナ日本語で聖書を読む会の定期集会は、11月16日、主催者宅にてもたれました。今回は31年前に北朝鮮に拉致されたまま、未だに母国に帰ることも、肉親に会うこともできずにいる横田めぐみさんの事件を再び認識し、祈りを深めるためにDVD『めぐみ』を鑑賞しました。



この映画は横田めぐみさんの事件に大きな衝撃を受けた映画監督、クリス・シェリダン氏とパティ・キム氏が2年の歳月をかけて製作し、米国で放映して大きな反響と感動を呼んだ作品です。

横田めぐみさんは1977年11月15日午後6時すぎ、通っていた中学校のバトミントン部の活動を終えて帰宅する途中、北朝鮮の工作員に拉致されました。

その後約20年経ってからめぐみさんが北朝鮮にいるという情報が確認されるまでの、横田さんご夫妻の苦悩は想像を絶するものでした。家出か、誘拐か、蒸発か・・・。警察を動員し、テレビ・新聞で呼びかけ、必死の捜索にもかかわらず全く手がかりのないまま年月が過ぎていきます。

ようやくめぐみさんの拉致が明るみに出、娘の生存に安堵したものの、生還を果すために始まった日本政府との折衝もまた困難を極めるものでした。なぜ政府は、日本国民が拉致されているのに積極的にこの問題に取り組もうとしないのか・・・。

政府だけに頼るだけでなく、今度は自ら人々に呼びかけるために立ち上がるご夫妻。めぐみさんの写真を掲げ街頭で応援を求めますが、通行人の多くは冷たい目で見やって通り過ぎていきます。しかし、こうした活動を、どんなに疲れても再び立ち上がって続けていくご夫妻の姿は実に胸に迫るものがあります。

この映画は事件の断片をドキュメンタリー調でまとめていますが、途中で北朝鮮の工作員だった男性とのインタビューが収録されています。「めぐみさんを拉致したのは私が良く知っている同僚です。彼女を船室に閉じ込め、あとで扉を開けたところ、彼女はおかあさんの名前を絶叫しながら鉄の扉をかきむしったために血だらけで、その上船酔いで嘔吐したものが血に混じり、すさまじい状態になっていました。彼はその姿を見て大変なショックを受け、その後気が狂ってしまったのです。」



娘を、家族をこのようなひどい目に遭わせた憤りと、娘らへの愛情にかられる横田さん一同は執拗に政府に訴え続け、その甲斐あってようやく北朝鮮政府が拉致事件を認めて謝罪し、拉致した人を帰国させるという約束に漕ぎつけます。ところが、これでやっと娘と会えると希望を持った矢先、「横田めぐみさんは既に死亡しています」と北朝鮮から報告され、夫妻は再び絶望の淵に立たされます。

しかし、めぐみさんの死を裏付ける確固たる証拠を見せない北朝鮮政府の報を信じず、横田さんご夫妻は引き続き、めぐみさん救出のための戦いに献身されています。

前述の元工作員はインタビューの中でコメントしています。
「めぐみさんは生きていますよ。金正日の息子に日本語を教えているようなことも聞きました」

めぐみさんのお母様はこの事件に打ちのめされて生きる望みを見出せなかったある日、聖書を渡されてヨブ記を読み、信仰の道に進む決心をされます。教会は横田さんの事件を心に留め、この事件の解決のために祈るブルーリボンの祈りの会を発足させました。私たちバルセロナのメンバーもブルーリボンの祈りの会の一端を成し、1日も早い拉致被害者のご帰国のために祈り続けます。



私の選ぶ断食とはこれではないか。
悪による束縛を断ち、
くびきの結び目をほどいて
虐げられた人を解放し、
くびきをことごとく折ること。
(イザヤ書58章6節)

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、平和が満たされますように

| 近況報告 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Orissa の迫害

インドの東岸、貧しいが美しい街オリッサでこんなことが起こっていた。

2007年12月23日、ヒンズー教至上主義団体の Hindutva が「キリスト教を廃止せよ、キリスト者を殺せ」というスローガンを掲げて行進した。そこで現地のキリスト教会の責任者たちは地元警察に赴いて事情を話し、保護を求めた。警察は彼らを護り、事態をコントロールすることを約束した。

にもかかわらず。

クリスマスイブの12月24日、日中から街にはヒンズー教を讃える声が響き渡り、店は強制的に閉ざされた。その夜、彼らは木を切り倒して道を封鎖し、電気と電話の供給線を破壊した。

12月25日、クリスチャン達はふたたび警察に訴え、保護を求めた。その日、200人ほどで教会に集まりクリスマスの祈りを捧げていた午後2時30分と4時に暴徒が教会に接近した。暴徒達は4000人もの群集で、額にTilaksのシンボルマーク(宗教的シンボル)を着けたヒンズー主義者たちだった。



「彼らは教会のドアを打ち壊しました。私たちは恐怖に襲われて一斉に走り出しました。つまづいて転んでもなお逃げ続けました。女も男も威嚇され、暴行を受けました。その中にこう叫ぶ声が響いていました。“キリスト教徒はヒンズー教に改宗するか死ぬかのどちらかだ。やつらを殺せ!やつらを殺せ!やつらを殺せ!やつらの信仰をぶち壊せ!”」(後略。オリジナル:http://www.worldproutassembly.org/archives/2008/01/riots_in_orissa.html)

この日、4人のキリスト者が命を落とし、730軒の家と95件の教会が焼かれた。このような残虐なクリスマスを過ごしていたインドの状況は今まで全く知らずにいたものの、こうした状況はその後コントロールされるどころか悪化し続けている。

放火される教会

今月7日の聖日礼拝中には2000人の礼拝者が襲撃され、10日の夜には一晩で20件のクリスチャンの家が放火され、70人もの信者が強制的にヒンズー教に改宗させられた。暴徒達は隙があると教会関係者を拉致し暴行する。夫を拉致された妊婦が彼を助けようとして腹部を強く蹴られ、現在入院中という報告もある。

焼け出されたクリスチャンの家

逃げ惑うクリスチャンは、街の外に出る道が封鎖されているため、野獣が住むジャングルに逃れるしかない。何とか救済キャンプに着いた人々も、飲み水に毒が流しこまれたため、そこで命の危機に瀕している。(http://www.onenewsnow.com/Persecution/Default.aspx?id=245382 より)

 消失したカトリック孤児院

今月初旬、その身にガソリンを振りまかれて生きたまま焼死させられた、20歳の女性 Ms. Rajni Majhi はカトリック系孤児院の中に住み込んで子供達のために献身的に働いていた。そこへ700人ほどの暴徒が押しかけ、神父と彼女を別々の密室に閉じ込めて火をつけた。神父は何とか自力で消化でき命拾いできたが、Rajniは助からなかった。この事件の記録はあまりにも重く、とても訳文をつけることができないほどです。(http://theblackcordelias.wordpress.com/?s=orissa)

どうしてこのような事態になってしまったのか。警察は何をしているのか、そして政府は・・・。そう思うものの、90%以上の国民がヒンズー教徒であり、キリスト教は2.5%という事情にカースト制がからみ、彼らの保護は人からはなかなか届かない。彼らに必要なのはまさに神からの助け以外にないのです。

共に、彼らの身が護られて国が変えられるよう祈りを捧げ続けることこそ、私たちに唯一でき、必要とされていることだと思います。




現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、
たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、
わたしたちとっては、唯一の神、父である神がおられ、
万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰っていくのです。
コリントの信徒への手紙 8章5-6節


前回と今回、多少長い文になってしまいましたが、次回は以前のようなストーリをご紹介します。

今日このブログを訪れてくださったあなたに、神のご加護がありますように。


| 近況報告 | 01:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
スペインの夏の旅(モニュメント編)
前回の旅行記では自然とのふれあいしか書きませんでしたが、もちろん歴史的建造物も訪問してきました。

たとえば、旅の最初の宿泊地はナバーラ県オリーテ市にあるお城!

Castillo de Olite

このお城は14世紀にカルロス3世の命によって、砦 兼 王宮として建築されたもので、文化レベルを高めようという王の希望に従い、宮殿内は見事なタピスや装飾品の結集となり、広大な敷地にはキリンやライオンを含む世界各地から集められた動物が飼われたそうですが、紆余曲折、18世紀に王位継承戦争のためにフランス軍が侵入してきたとき、この城をフランス軍に好きに使われるのを防ぐために火を放ち、装飾品もろとも燃え尽きてしまったお城です。ですからかなりの部分が修復されたものですが、それでも当時を忠実に再現し、見ごたえのあるお城でした。

このお城の半分が今はホテルになっていて、中の調度品も中世のお城っぽく凝っています。牢屋をそのままサロンにした牢の部屋という小部屋もありました。
牢の部屋(部屋の入口は鉄格子)

アストゥリアスでは、9世紀に立てられたっきり、ほとんど手を加えられないまま完全な姿を維持しているサンタ・マリア・デル・ナランコを見に行きました。建築芸術史を学ぶ人は必ず教科書で見る建造物です。私も初めて見るこの建物の実物に感動しました。


カスティーヤ地方はその昔、イベリア半島最大のカスティーヤ王国でしたが、その王国のいわゆる首都圏が Toledo、Valladolid、Zamora、Salamanca。これらの街の中世の建造物は大変威厳に満ちた、芸術度の高いものが多い。特にルネサンス期に大流行したブラテレスコ装飾は見ものです。
サラマンカ大学旧校舎

サラマンカ大学旧校舎の装飾に、頭にカエルを乗せた骸骨があるのは有名ですが、これに乗ったサラマンカ人は、新カテドラルのプラテレスコ装飾にナント宇宙飛行士を組み込みました。さらに、2個ボールのアイスクリームをなめる魔物も。この二つも今やサラマンカ観光の名所の一角を成しています。


そして、大学のすぐ脇の壁には、かつて皇太子ご夫妻だった明仁天皇と美智子皇后がご訪問になったことを記念したラテン語表記があるのです。


サラマンカ大学の図書館は私のお気に入りスポット。この図書館には次第に地球の様子がわかるに従って作られた地球儀がいくつも置いてありますが、その中で最も古い地球儀にはナント日本がない。ないというよりハワイあたりに台湾に似た形の島が描かれてあって、Zipango と書かれてあるのです。今年はこの地球儀のレプリカを衝動買いしてしまいました。
サラマンカ大学旧校舎図書館
1541年製メルカトル地球儀レプリカ

やっぱりしばらく住んだせいもあるのか、私にとってサラマンカはスペインで最も美しい街。神学を教えるために創られたサラマンカ大学と教会を中心に発展した街。ここに来るといつも、この国の中世の人々の神に対する思いが、荘厳で妥協を許さない緻密さを備えた建造物に如実に現れていると感じます。
ローマ橋から見たサラマンカ

来週からスペイン人もバケーション明けで日常生活に戻ります。私たちも9月21日に集会を持つことになりました。このブログを今日訪れてくださったあなたの日常が、神様の愛で満ち溢れますように祈ります。




| 近況報告 | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
スペインの夏の旅(大自然編)

Toro (Osborneの看板)

「はあ〜、寒かった!」
これがバルセロナに戻ってからの第一声。そうなのです。熱いイメージのスペインですが、北部や内陸の夏は結構涼しい(というより寒い)日が多い。ですからビーチやプールに人はまばら。あるいは閉館しているのが普通といった感じです。

それでも1日だけ快晴で暑かった日、私たちはガリシアの海岸に行きました。

Pr. Catedorais (Galicia)
Pr. San Miguel (Galicia)

澄み切った水がエメラルドグリーンに輝く海を見たら、どうしても入らずにはいられませんでした。スペインというと地中海というイメージですが、実は地中海は内海のため、潮の満ち干きがない!そこへくると大西洋はバッチリ数十メートル波打ち際が移動します。地中海しか知らない私の娘は新鮮な驚きを隠せずにいました。

宿をとったのはガリシア州まであと 3Km というところにある、アストゥリアス州の片田舎、タラムンディ。アストゥリアス出身の友人にイチオシされただけあって、静かで小さな愛らしい村でした。
Hotel la Rectoralより

毎朝この景色を眺めながら、テラスで朝食なんて素敵!でも寒い!それでも元気に散歩に出れば、そこはアストゥリアスの大自然とのふれあいがいっぱいです。村のすぐ近くには、麦の脱穀の歴史を説明する水車小屋が昔のままで健在でした。

Mazonovo (Taramundi)

この水車小屋からハイキング。アストゥリアスは森林と緑あふれる平原で有名なので、野鳥と牛馬と小川に伴われたハイキングは抜群です。今回も野生の鹿にでくわしました。

Oscos
 Oscos
Dolmen de Merilles

タラムンディの村から北上すると、エオという名のリアに出ます。リアとはスペイン語の RIO(川の意味)の女性形で、入り江のこと。ガリシア地方はこの入り江が多いのでリアス式海岸と呼ばれているのは皆さんもご存知の通りです。

そしてこのリア・エオの河口付近にはカストロポルという美しい村があります。

Castropol (Asturias)

この村は16世紀に一度焼け落ちてしまったそうで、再建された時から白い壁の家々が並ぶ町並みになりました。アストゥリアスの典型的な家は、本当は白壁ではなく、灰色の薄い石の板を積み重ねた壁なのです。

Hotel La Rectoral

今回訪れたタラムンディ村は、ガリシアの世界遺産がある街 Lugo から約60キロメートル北東にあります。自然の中でゆっくりと神様と語り合える休暇を求める人にはお勧めです。

次回はモニュメント編をご紹介します。
今日、このブログを訪れてくださったあなたの夏を主が祝福してくださいますように。


| 近況報告 | 06:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
工藤篤子コンサート
本当に長いことブログをご無沙汰してしまいました。その間にも訪れてくださった方々に心からのお礼とお詫びを申し上げます。

私は7月13日に企画した工藤篤子ジョイントコンサートの準備に終われる毎日を過ごしていました。コンサートの最中にステージ脇に映し出すパワーポイントが工藤さんから送られ、これを調整するために工藤さんのCDを聴きながら操作しましたが、ただでさえ胸を打つ工藤さんの歌声が映像の力も加わって迫ってきて、準備しながら涙にくれていました。

CDでこれだけ感動するのですから、コンサート会場がどれほどの感動に包まれたかは言うまでもありません(表現する言葉も見当たりません)。コンサートが終了したとき、会場に集まった170人あまりの人が全員総立ちになって割れんばかりの拍手を送っていました。



工藤さんの歌に先立って演奏された鈴木羊子さん、田中友樹子さんのピアノもそれぞれプロの見事な腕前を披露し、大きな拍手とブラボーを博していました。



ピアノ演奏と工藤さんの歌の間にジャズギターを披露してくださったサパルディさんは、クラシック音楽の固い雰囲気を和らげ、休憩のないコンサートにほっとする時間が創られました。彼が会社員であることから、同僚の方々がたくさん、おそらくは初めて教会という場所に足を踏み入れてくださったのはとても嬉しい導きでした。



聴衆の大半がスペイン人だったので、工藤さんは証やエピソードを日本語とスペイン語の両方で語ってくださったので、スペイン人からの反響は予想を上回る大きなものとなりました。集会には“カタルーニャ州プロテスタント教会連盟”から、“バルセロナ日本語で聖書を読む会”を認知して公に存在を公表したいというメッセージも届けられたほどです。私達の小さな集会が多くのスペイン人に知られれば、あちこちの教会を訪問する日本人にこの集会が案内されて、共に祈り賛美する日本人が増えるのでは、という希望に繋がりました。



これほどの成果をもたらしてくれるコンサートを導いてくださった神様に、そして惜しみない協力をしてくださった演奏者の皆さん、このコンサートのために心からの祈りを捧げ続けてくださったひとりひとりに、集会一同より心から感謝しています。

詳しい報告や写真は今週末までに月報に掲載します。どうぞ集会ホームページからご覧ください。

今日もこのブログを訪れてくださったあなたを、主が豊かに祝福してくださいますように。
| 近況報告 | 02:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
パートナー (月報42号)
いつもバルセロナ日本語で聖書を読む会のブログを訪れてくださって有難うございます。今月は5月18日に、予定通りミラノより内村牧師をお迎えしてお話をしていただきました。

神は人間よりも力強く、愛の深いお方ですが、その神がご自身の業を成されるとき、私たち人間をパートナーとして選んで用いられます。ご自分よりずっと弱くおろかな相手をパートナーに選ぶというのは不自然ですが、その私たちを神は望まれる。

神様とパートナーを組んだ私たちは時として、その荷を重く感じることがあるかもしれませんが、しかし神様と共に働くとき、私達は神様と同じ方向を向いて歩き始めるのです。



神様が自らパートナーを選ばれるとき、その選抜基準はキリスト者として、また人間としての器の大きさとは関係ありません。

牧師や立派なクリスチャンが選ばれる、とか
特別な才能を持った人が選ばれる、とか
学びを積んだ人が選ばれる、とか
大いなる働きをしている人が選ばれる などといった思い込みは誤りです。

神様はただひたすら、あなたが最適だと確信されているからあなたを選ばれる。そしてその荷を負おうとするまで待っていてくださっている。

私達がどんな人間であろうと、「神様のパートナーになりたい」と望み、「神様、私を遣わしてください」と祈るとき、それは神の喜びとなり、その通りになるのです。


兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のあるものが多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(汽灰螢鵐1:26,30)

礼拝の後は恒例のカレーパーティー。今回は初参加の方も含め、集会メンバーだけでも大人10人、子供2人の大盛況で大変楽しい会となりました。



次回の集会は6月15日(日)午後4時から、下山宅にて持たれます。旧約聖書の「エステル記」と、旧約続編の「ギリシア語エステル記」を読みながらこの書簡を学びます。王の名前が口語訳だと「アハシュエロス王」、新共同訳だと「クセルクセス王」、続編だと「アルタクセルクセス王」となるのは何故か? 王妃ワシュティはなぜ王の命令に従わなかったのか? モルデカイの祖先はどのような人物だったのか? 「ハダサ」とは誰のことでどういう意味か? などなど、思いつく限りのテーマについて考えます。ぜひ奮ってご参加ください。

今日もこのブログを訪れてくれたあなたを、主が豊かに祝福されますように。


| 近況報告 | 17:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
聖週間
今年の復活聖日は3月23日でした。スペインではその前1週間にわたる受難週のことを Semana Santa、つまり聖週間と呼び、各地でその日にちなんだ聖像を担ぎ出して街の中を練り歩きます。この行列を Procesion de Semana Santa といい、スペイン中で行われますが、中でも南のセビリア、北のサモラとバジャドリード、中部のクエンカは有名です。

 セビリア

普段はカトリック教会の中に安置されている聖像を、国宝級のものまでお神輿にして担ぎ出し、ひとつを20人くらいの大人たちが肩に担いで練り歩きます。
 サモラ

お神輿の周囲を高い三角帽子に顔を覆い尽くしたナザレン達と、喪の正装に身を包んだ婦人たちが伴います。

サモラ

どちらかというと北の街の方が簡素で厳か

 サモラ

南の街の方が豪華です。

 グラナダ

カトリックの国ですから、聖母マリアは特に華やかに飾られていますが、わが子を十字架につけられた母の悲しみの表情をたたえています。
 
バルセロナ

このお神輿を担ぐことはカトリックの信者にとっては毎年の欠かせない行事になっていて、雨が降って Procesion の担ぎ出しを中止するとのアナウンスが流れると、大の大人たちが男泣きに泣き崩れるのです。プロテスタントの私にはちょっと理解しがたい部分ですが、彼らの思い入れが胸を突きます。

音楽はあまりなく、太鼓やラッパの音に、サエタと呼ばれる歌が加わる程度。それでも「熱狂的なカトリックの国スペイン」という呼び名はこのお祭りからきたのだと実感させられるこの行列は、午後から夜遅くまで街を練り歩いたあと、ミサで終了します。




宗教性の少ない日本のお祭りを見て育った私にとって、これほど宗教色の濃い祭事はカトリックではない私でも感動します。ぜひ一度、皆さんにも見ていただきたい行事のひとつです。ちょうどこのころにイギリスから S さんご一家が来られたのでバルセロナの Procesion を一緒に見物しました。



メキシコから集会発起人の H さんご夫婦がいらしたので、ご一緒に夕食をともにしながらいろいろなお話を聞かせていただきました。



様々な思いを抱き、多くのことを感じた恵み深い受難週でした。
このブログを今日訪れてくださった方と、受難週の痛みと喜びを分かち合えることを感謝します。





| 近況報告 | 06:28 | - | trackbacks(0) |
誰のために苦しむのか
しばらく慌ただしい日が続き、ブログが更新できずにいましたこと、お詫びいたします。今日は久々に、集会の近況報告をします。

聖書を読む会の定期集会は3月9日午後4時に下山宅にてもたれました。今回は受難週に備え、DVD『パッション』を皆で鑑賞しました。

鑑賞する前に、聖書を読みながらこの日の出来事を思い、私達自身の罪は何かと考えました。具体的には言い表せなくても根底にある、神から目を離しがちになる人間の弱さ、主から背を向けている自分を正しいと思っていた頃の罪を思い起こし、こうした罪に対する神の怒りを最後の審判の日に私たち自身が受ける前に、イエス様が代わりに身を持って受け止め、鞭打たれ、死によって贖ってくださったことを考えました。

こうして観てみると、主イエスが鞭打たれる場面の生々しさは、まさに私達に向かう鞭の痛みとなって迫り、うっぷん晴らしを楽しむかのような表情で主イエスの体に鞭を振り下ろす執行人たちこそ、自分たちの姿であることを感じました。



十字架の死は神によって呪われた死。つまり呪われていたのは私であって、その私にかかっていた呪いを自らの上に担うために、ゴルゴタへの苦渋に満ちた道を行き、6時間もの間十字架の上で死の苦しみを耐え、ついにその死によって私を贖ってくださったということが映像を通して観る者の胸に迫り、DVDを観ながら涙を禁じることができませんでした。

改めて主の深い愛を実感して感動に打ちのめされ、その愛ゆえの犠牲に心からの感謝の祈りを捧げました。


捕えられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。(イザヤ書53章8節)strong>

4月の集会は13日、午後4時から下山宅で持たれます。ミラノから宣教師をお招きしてメッセージを取り次いでくださいます。ぜひお越しください。

今日、このブログを訪れてくださったあなたを、主が暖かく抱きしめてくださいますように。
| 近況報告 | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
君は愛されるために生まれた
「私の子供が小児がんで入院しているのですが、日本に憧れているんです。病気のため日本に行くことは難しいのですが、あなたが子供を訪問してくれたらと思って。」

活花教室の生徒である女性にそう持ちかけられたI さんは、早速その期待にこたえようとダニエル君を郊外の病院に訪ねることにしました。このことはバイオリンの教師として活躍中のOさんにも伝わり、二人の忙しいスケジュールを調整して急きょ、2月8日のお昼休みに特別訪問が決行されました。

小児がん病棟には3歳の子供も苦しい治療と激しい痛みに耐えていましたが、驚かされたのはその3歳の子供が、自分のことよりもこの日に抗がん剤治療が予定されていた6歳も年上のダニエル君を心配し、気遣っていたことでした。一行が病院に着いたとき、ダニエル君は治療の前に服用しなければいけない薬が飲めなくてぐずっていましたが、I さんが顔を出して「日本を持ってきましたよ」と挨拶すると一気に飲みほして会場にやってきました。



「“君は愛されるために生まれた”をみんなで日本語で歌いましょう。」そう言ってローマ字に書きなおした歌詞プリントを全員に配り、意味を説明してあげると、ダニエル君はメモまでとりながら真剣に聞いています。Oさんがバイオリンを取り出して美しい音色でメロディーを弾き、Iさんと一緒に日本語で歌えるようリードしました。

この曲が子供たち全員と母親たち、看護師さんや医師にどれほど喜ばれたか、それをどう表現したらよいのでしょう。生まれて数年しか経たないというのに死に直面し、病と闘わなければならない幼い子供達、そして「なぜわが子が」という問いから開放されることなく悩み続ける親たちにとって、「君は愛されるため生まれた」というメッセージとの出会いは双方に生きる意味を与え、これまでの苦しみを一気に心の癒しへと導いたのです。



この歌を紹介した彼女たちにとっても、今まで何度も聴き、歌ってきたこの歌詞が今日ほど心の奥底に浸透したことはなく、共に深い感動に包まれました。

この日、小児がん病棟は神の愛が満ち溢れた天の御国のようでした。

主が彼らひとりひとりと共におられることが、彼らの支えとなりますように。
そして今日このブログを訪れてくれたあなたも愛されていることが伝わりますように。

| 近況報告 | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
12月の集会 - J
16日、朝からおでんと炊き込みごはんの準備をし、歌う讃美歌のコピーも出来上がってきた16時、我が家に続々とメンバーが集まってきた。

バイオリニストのO姉、ピアニストのS姉、ギタリストのK兄、活け花師の I 姉、芸術家のT姉、観光ガイドのY兄・・・ そして今日は初めてお迎えするサッカー選手の卵のT君と引率のJ。

Jは私の家まで、郊外の宿舎からT君を連れてきてくれたが、実はT君もJもオーストラリアに住む二人で、土地勘がない。オーストラリアに住む両親のもとを初めて離れ、寂しさの頂点にあるT君が「日本人の教会に行きたい」と望んだとき、Jは少しもためらわずに私の家まで彼を連れてくることを決意した。

彼が我が家への道順を電話で尋ねてきた時、Jは「僕もクリスチャンだから集会に参加するよ」と積極的だった。「この集会は日本人のためのものなので、通訳をしないんです。つまりメッセージも賛美も全部日本語なんですが・・・」とためらう私に、彼はすかさずこう返答した

「 T が幸せであれば、僕はそれで良いんだ」

彼は道を迷いつつ、人に尋ね尋ね、ようやく我が家を捜しあてた。恥ずかしそうに立っているT君の後ろに立つ巨大なJはこちらが一瞬だじろぐほどだったが、さっさと靴を脱いで家に上がり、日本語で賛美する私たちのメロディーにスペイン語で参加した。

「僕はプロのサッカー選手だった。そして選手生活を終えたらコーチになりたかったんだ。僕の毎日は充実していた。

でもある日、親友である選手仲間が自殺した。その時、スーパースター選手まで上り詰めると、その時から彼を愛する人がいなくなるのだと気づいた。でも主は彼らを愛しているんだ。それを伝えて彼らを支える。コーチになるのではなく、選手の心を聖書によって支えるチャプレンになろうと決心したんだ。これが僕の証。」

さらりと語ったJの言葉のうちに、彼の信仰を強烈に感じた。



集会の12月の活動内容は後日、月報にてご報告します。月報は集会のホームページ(マドリード集会のページの左コラムからバルセロナ集会を選択)からご覧になれます。来週にはアップロードします。どうぞご覧ください。


今年もスペイン国営放送局からプロテスタント教会の礼拝メッセージが全国に放映されます。今年はバルセロナ市内で牧会される Robert Velert 師がメッセージを取り次ぎます。放映予定時刻は12月23日午後7時。スペイン語のわかる方はぜひチャンネルを合わせてみてください。
| 近況報告 | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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