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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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奇跡
 嘘のような、本当にあった話です。

カレンという女性が妊娠した。彼女はほかの全ての母親達と同様に、赤ちゃんのために、そして長男のマイケル(3歳)のために、できるだけ良い環境をつくろうと努力を始めた。



妊娠が進むと、胎児は女の子であることがわかった。マイケルも喜んでお母さんのお腹の横で赤ちゃんのために歌を歌ってあげるようになった。もう兄としての自覚と妹への愛情が生まれているのを見て、両親は心から喜んだ。

妊娠は順調に進み、やがて月が満ちて陣痛が始まった。陣痛は次第に間隔が短くなり、5分ごとから3分ごと、そして毎分起こるようになった。



ところがここに到って胎児が出て来れず、カレンの出産は思いがけず難産になってしまった。医師たちは帝王切開の準備を考えたが、数時間後に赤ちゃんはようやく生まれた。

しかし赤ちゃんの状態は悪く、至急に救急車でSaint Mary病院のITUに運び込まれた。そこで日夜を徹して看病されましたが、赤ちゃんの状態はよくなる様子がない。

医師は両親を呼び、「希望はあまりありません。最悪の状態を考慮しておいてください。」と告げた。



カレンと夫は悲しみにくれたが、万一に備え、葬儀の準備を始めた。ほんの数日前までは、生まれた赤ちゃんのための部屋を準備していたのに、こんなことになるなんて・・・。彼らの目は涙が枯れることがなかった。

そんな日々、マイケルは毎日のように赤ちゃんに会いたいと両親にお願いしていた。「赤ちゃんにいつもの歌を歌ってあげたいんだよ」と。しかしITUに子供が入ることは許可されていない。両親はかわいそうに思ったが、「もうちょっと待ってね」とマイケルを慰め続けた。

ITUに入って2週間目になり、医師は「今週末までは持たないでしょう」と連絡した。



マイケルは待ちきれない様子でその日も「病院に連れて行って。歌を歌ってあげたいんだ」と母にねだった。そしてカレンは決心した。

とにかく今日マイケルを連れて行こう。マイケルはまだ1度も妹の顔を見ていないし、今日お願いして特別に許可が出ても、明日にはもう命がないかもしれないのだから。

カレンはマイケルが少しでも大きな子に見えるよう、ちょっと大人っぽい服を着せて病院へ連れて行った。やはり看護婦は「子供はここに入れません」と禁止し、カレンがマイケルを外に連れ出すよう注意し続けた。しかしカレンも頑張った。

「この子は妹を一目見るまで出て行きません!」

カレンは強引にマイケルを保育器の横まで連れて行った。マイケルはそこではじめて、命のために戦っている小さな赤ちゃんを見た。そしてしばらくすると、いつもの歌を歌い始めた。

♪ 君は僕の太陽、僕のただひとつの太陽だよ
♪ 空が雲で覆われていても、君は僕を幸せにしてくれるよ・・・



赤ちゃんは、心なしか安らかな表情になったような気がした。

しかし、それは気のせいではなかった。本当に脈拍が落ち着いてきたのだ。
驚いたカレンはマイケルをせかした。「続けて歌って!」

♪ 君は、僕が君をどれだけ愛しているかしらない・・・
♪ お願い、僕の太陽を今持って行かないで・・・

マイケルが歌っている間、困難だった呼吸も次第に整ってきたではないか。
カレンはあわてた。「マイケル続けて!お願い!」 興奮して息子をせかした。

♪ この間ね、君を僕の腕に抱いている夢を見たよ・・・

赤ちゃんはこわばらせていた体の力を抜いた。

「マイケル、もうちょっと歌い続けて!」母はマイケルの肩を抱いた。
看護婦達もあまりのことに泣き始めた。

♪ 君は僕の太陽、僕のたったひとつの太陽だよ
♪ 空が雲で覆われていても、君は僕を幸せにしてくれる
♪ お願い、僕の太陽を今持って行かないで・・・

このことがあった翌日、マイケルの妹は完全に回復し、数日後には退院した。



Womans Day Magazine 誌はこの出来事を『兄の歌が起こした奇跡』と題した記事で報道し、医師たちはこの事実を“奇跡”と呼んだ。

カレンは“神の愛による奇跡”と呼んだ。
愛には途方もなく大きな力があることを立証した出来事だった。

私たちはこうした愛を受けたいと願うかもしれない。
しかし、私たちもこのような奇跡を起こす立場に立てるのである。
与える愛さえ持ち合わせれば。

今日このブログを訪れてくださったあなたに、愛の奇跡が起こりますように。
| | 05:51 | comments(1) | trackbacks(0) |
汚い藁
数年前のクリスマス、私は礼拝堂のイスに座って牧師が語るメッセージを聞いていました。メッセージはマリアの賛歌(ルカによる福音書1章46-56)がテーマだったと思います。彼女は結婚する前にみごもり、親戚のエリサベツの家に3か月ほど滞在したときに彼女と語り合い、神を心から称えたのです。

妊娠初期の3か月といえば・・・ 礼拝中にもかかわらず、私はマリアの時代へと空想の中で浮遊していきました。

時は紀元前のユダヤ社会。厳しい戒律を守り切ることが定めとされている時代ですから、もちろん婚前交渉や同棲など許されません。未婚の女が妊娠したら直ちに裁判にかけられ、頭から布をかぶせられて穴に下半身を埋め込まれ、周囲から皆に石を投げつけられて死ぬ。それが正しいとされる世界でしたから、清く正しい生活を送っていたマリアのところに突然天使が現れて「おめでとうマリア、あなたは身ごもって男の子を産みます」と言われた時には愕然としたことだろう。



目の前真っ暗、気絶寸前のマリアには自分が石打の刑に処せられる姿が目に映ったに違いない。「どうしてそんなことがありえましょうか」と反論するが、天使は「あなたの親類エリザベトもすでに妊娠6ヶ月です。神にできないことはないのです」と言葉をつなぐ。ついにマリアが天使に「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と言うが、本当は内心、夢であってくれと願っていたのではなかったかと空想した。

しかし妊娠は現実となって現れた。つわりの症状が発生したのだ。肉売りの前や各家の食事の支度の臭いを嗅ぐたびに「うっ」となる状況は、妊娠を経験した女の目にすぐそれと知れる。マリアは母に泣いて相談し、母は半狂乱になった。そして母娘は途方にくれた。

「そうだ、親戚のエリザベツを訪問させよう。妊婦の親戚を手伝いに行くという理由なら誰にも怪しまれないし、きっとエリザベツならマリアを理解してくれるかもしれない」彼女たちはさっそくそう決め、マリアは支度を整えて出かけて行った。



エリザベツはマリアをみると喜んだ。顔色が悪いと思ったが、挨拶をした時に自分の胎児がいつもと違う大きな動きをしたことで鋭く察し、「あなたは主のお母様になるのだわ」とマリアを祝福した。驚いたのはマリアの方だろう。途方にくれた状態で親戚の家に着いたとたん、状況がすべて察知されたのだから。マリアはさっそくこれまでのいきさつを隠さず話し、ふたりは夜通し語り合った。ここまで来て、ようやくマリアは事態を現実として受け止めることができ、未婚の状態で神の子を出産することを受け入れることができたのだ。だからこんなに素晴らしい賛歌がその口からほとばしったのだ、と空想の中で私は感じた。

3か月もするとつわりはおさまり「遠隔地で許婚者と結婚した」という形でマリアは実家に戻った。そして心穏やかな妊娠の日々を送った。

しかし、穏やかな日はそう長く続かなかった。住民登録をするようにという勅令が下り、長い旅に出なければならなくなったのだ。旅は妊婦にとって危険である他、道中はいたるところで山賊も出る。「神が望んでおられる妊娠なのに、どうしてこんな危険な旅を?」と、私なら神様を疑いたくなるだろう。マリアはどうだったか知らないが、とにかくヨセフとともにベツレヘムへと旅立った。

旅はなんとか守られたが、ベツレヘムに着いたころ、マリアは産気づいてしまった。今夜は野宿するわけにいかない。ヨセフは走り回って宿を探した。1軒、また1軒と小走りに探すが、事情を話しても誰も空き部屋がない。周囲も旅人ばかりで皆、他の人を助ける余裕もなさそうだ。マリアはうずくまってしまった。・・・「もう歩けない」
その彼女を見て「馬小屋でよければ」という申し出は、不幸中の幸いと受け取るしかなかった。



出産を助けてくれる産婆も登録で町を出ていたのかもしれない。産婆を連れてきてもくれる人もなかった。ヨセフは大急ぎで藁をかき集めてマリアを寝かせ、どうすればよいのか全く分からない状態で出産の準備をした。誰からも助けてもらえない孤独な状況のなかで、とても緊迫した出産が始まり、しかし赤ちゃんは無事に生まれて元気な産声を上げた。二人の安堵はどれほど大きかったことだろう。

「そうだ、赤ん坊を寝かせる藁を集めなければ」ヨセフは飼い葉おけに藁を集めた。しかし、その藁には牛馬の糞がところどころに付き、よく見ると虫も這っていた。空想の中で、私は確かに虫が数匹うごめいているのを見たのだ。

「初めての子供をこんな危険な事態のなかではらませ、こんな危険な旅を強い、生まれても普通の部屋にも置いてやれないばかりか、こんな汚い藁に寝かせるなんて、冗談じゃない。私を祝福するといわれた神様がこんなことをするはずながい!」 短気な私は、自分だったらわが子を不憫に思うあまり、そう胸の内に思うだろうと思った。その時だった。私の胸に神様の言葉が直撃してきたのだ。

「その藁は、お前だ」

私はとても驚いた。その言葉に、というより、この予想だにしない一言のフレーズが、まさに電光直下のごとく私の胸の内に入ってきたことに驚いたのだ。それから私はこの言葉の意味を知った。

そう、認めたくなかったが、私は確かに汚い藁、虫の這った藁なのだ。そんな人間なのだ。それなのに、その汚い藁に神様は自分の子を寝かせることを良しとした。そうすることで私を浄化できるのだから。そしてそのために、ただ私のために、神はマリアにこれほどの苦労を負わせたのだということがわかり、私の心は感動でうちふるえた。

この日、私という汚い人間の胸に主イエスが生まれた。

そして我に帰ったとき、講壇の牧師が読み上げたマリアの賛歌は、そのまま私の告白となった。

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう。
(ルカによる福音書1章47-48節)

下山由紀子

またアップロードに時間がかかってしまい、恐縮です。
今日、このブログを訪れてくださったあなたに、神の救いがありますように。
| | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
愛の力
先日、Robert Velert 師の礼拝説教で語られた、教員マリアとペペの話を7月19日のブログに案内させていただきましたが、これを書いている最中、私は過去の出来事を思い出していました。

私がスペインに渡る前に日本で通っていた教会には、ある孤児院の院長先生も通っておられました。いまどき孤児院というと珍しいかもしれませんが、これは戦後の孤児のためにかつて米軍が創設したもので、現在は親が何らかの事情で子育てをすることができない家庭の子供達が預けられています。



この孤児院はとても恵まれた施設で、公園のような遊具を備えた広い庭と、勉強をみてくれるスタッフがいる勉強室もあり、先生方もそれはそれは心を砕いて子供達の面倒を見ていらっしゃいましたから、親元にありながら鍵っ子である子供よりはずっと良い環境にあると思えるほどでした。

院はキリスト教主義というわけではなかったようですが、クリスチャンであった院長先生は「親がクリスチャンの家庭の子は、教会に連れて来られるのが自然です」と、院に過ごす子供達を日曜学校につれてきてくださっていました。

私は当時、日曜学校の教師として奉仕していましたので、この子供達と親しく接することができました。当然のことながら、担任のクラスには普通家庭の子と孤児院の子が一緒に聖書を学びます。どの子供も皆良い子で、紙芝居を読んであげたり、子供達に聖書を音読させたり、一緒にワークブックをしたりと、毎回楽しくクラスに集っていましたが、ほどなく子供達の学習能力に差があることに気づかされました。

孤児院から来る子供達の中にもとても優秀な子はいましたが、多くは小学校中学年になっても読み書きももどかしく、集中力がない。紙芝居を読んであげる間、じっとこちらを見つめているのは普通家庭の子供達で、院の子供達はいたずらをしてふざけていましたし、聖書の音読も驚くほど遅く、漢字の読みは必ず助けを必要としました。突然「僕にもお母さんっているの?」と質問してきて私を驚かせることもありました。彼らは授業に集中できない悩みで頭の中がいっぱいなのでした。



一方、普通家庭の子供達は何でもそつなくやり遂げましたが、やりたくない学習があたると「そんなの嫌だよ。別のことしよう」とわがままを言い始めて私を困らせることがありました。ところが、孤児院の子供達はそういうことは言わずにじっと黙って私の指示を待っていました。まるで、ここで文句を言ったら先生から嫌われるのではと懸念しているかのようでした。

その頃、ある本に「愛情を受けた子供は能力が高い。親の愛を受けることが理想的だが、親が不可能でも誰かに特に愛されれば、同じようにその子の能力は伸びる」というコメントを読み、確かにこの言葉は当たっていると気づきました。一般家庭の子供は言うに及びませんが、孤児院から来る子で優秀な子供は皆、院長先生か別の先生から特に目を掛けられている子供達だったからです。



自分の親が誰であり、自分が誰の子供であって、わがままを言っても、無遠慮に寄りかかっても文句なしに支えてくれる人がいる。こうした精神的に安定した状況が人間の精神を支え、集中力を養い、従って学習能力が上がっていくのだという説を、私は実際に自分の目で確認したのです。

この日、私は愛の力の凄さを知ったのでした。

親の愛にこれほどの影響力があるなら、神の愛はどれほどでしょう。
私たちは子供のときに親の愛に気づいていないことが多い。ましてや、親の愛より深く大きい神の愛に気づいている人は少ない。この孤児院の子供達も神様の愛の内にまっすぐに育ち、良い伴侶を見つけて立派な大人に成長していきました。

私たちはひとりひとり、気づいていようといまいと神に愛され、支えられている。しかしその愛を意識した日から私自身が変えられたという過去を、ペペとマリアのメッセージを聞きながら思い出していました。

このブログを訪問してくださったあなたに、神の愛が伝わりますように。
| | 06:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
汚い人
「こいつ、きったねぇ!触るとバイキンが移るぜ!」

小学校3年で千葉県から横浜市に引っ越した私は、ほどなく都会っ子達のいじめの餌になっていた。原因ははっきり分からない。しかし親分役の男子がそう叫ぶと、クラス全員は彼に逆らうことなく私を避けるようになり、私が近寄ると皆パニックした形相をして逃げ、間違って触ってしまうと、その部分にまるで菌が移ったとでもいうかのように、別の友にその部分を押し付けて自分を浄化した。

私のプリントを回収するときには親指と人差し指の先の方だけを汚物を持ち上げるかのように取り、私の持ち物すべても不浄物扱いを受けた。これらはしょっちゅう紛失し、私はそのたびにごみ箱などの中から探し出していた。

飛び蹴りを受けたり物を投げつけられたりという暴力も受けたが、机に唾されたり、陰でひそひそとありもしない私の噂を流して隔離するという精神的な暴力ほど私を打ちのめしたものはなかった。



担任にも見て見ぬ振りをされ、親にも理解してもらえなかった私の唯一の避難所は、自分自身の殻の中だった。私は自分の心の周囲に硬い殻をつくって自分をガードした。後にこの硬いガードを破って外界へ戻ることは大変な努力を要したが、当時はそれが自分を守るための唯一の手段だった。私は誰とも口をきかずに小学校・中学校・高校と約10年の歳月、友達らしい友達もできない青少年期を過ごした。

だから、聖書に登場する長血をわずらっていた女の気持ちが私には手にとるように理解できた。

長血とは不正出血のことで、生理でもないのに出血が続くとその女は「病気であり、汚れたものとされる」と定められている。当時、らい病や長血などを患って汚れたものは世間から隔離されて住まなければならず、それと知らずに誰かが近づいてくると「私は汚れています。私は汚れたものです」と叫んで知らせなければならなかった。

私は自分のことをそのように周囲に知らせるほどの惨めさは知らずに済んだから、まだ良かったのかもしれない。聖書の時代、病む者の人間性は本当に踏みにじられていたのだ。しかも、そうした病気をきちんと治せる医者はいない。彼女は12年もこのような状況に耐えていた。



だから彼女の耳に「どんな病も治してしまうイエスという預言者」の話が届いたとき、直感した。

私の人生を立て直せる人は、この人しかいない。

しかし、人前に堂々と出て行って主イエスに話しかけることは、汚れている以上不可能だ。女は、深くベールで顔を覆って周囲にわからないようにして後ろからこっそり主イエスに近づこう、衣の裾にでも触れたら治るかもしれない・・・と決意した。私には危険を犯しても“普通の人”になりたい彼女の気持ちが痛いほどに感じられた。

女が群集の群れの中を密かに主イエスに近づいて衣の裾に一瞬触れたとき、女は出血が止まったのを感じた。しかし感激する間もなく、すぐにイエスが振り返って「誰だ、私の衣に触ったのは」と女を捜した。大勢の人に押し合いへし合いされているのに、自分の力を求めて触った女を捜した。ばれてしまう・・・隔離されていなければいけない私が人前に出てきてしまったことが、ばれてしまう。ここまで来たのに。



絶望の気持ちを抑え、処罰を覚悟して女は震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由と、たちまち癒された次第を皆の前で話した。するとイエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言って立ち去り、周囲の者も誰も彼女を罰しなかった。(ルカ福音書8章40-48節)

聖書のこの話は有名だから今まで何度も読んできたのに、今日はじめて私は気が付いた。長血の女は私自身だったのだと。汚いとののしられ、話すことも許されなかった日々に耐えられなくなったとき、私は「教会なら温かい人がいて、友達になってくれるかも」と哀れみを請うような気持ちで教会に近づいた。そこで主イエスの衣の裾に私は触れたのだということを、今になって理解した。

人が病にあるのは、その人や家族が罪を犯したからではない。「神の業がこの人に現れるためである」ヨハネ福音書9章3節 (下山由紀子)

今日、このブログを訪れてくださったあなたに主の慈しみが届きますように
| | 06:23 | comments(2) | trackbacks(0) |
努力は報われなくても
「急ぎなさい!早く!」
ハイメと私は無我夢中でタクシーを飛ばし、警察署に向かった。今日の12時までに着かなければ私はビザの取得に失敗し、帰国しなければならない・・・。これまでの苦労が水の泡に終わるか、報われるかを賭けた私たちの胸は高鳴っていた。

走るタクシー

時は1979年、バルセロナ。独裁者フランコ将軍が死去して4年、スペイン社会が激動と変換の渦にあった頃に私はバルセロナに渡りました。この頃は住民権を申請すると労働許可書を申請できず、労働許可書を申請すると住民権を申請できないというシステムになっており、企業から派遣されるか、スペイン人と結婚でもしない限りこの両方を取得することは事実上できない仕組みになっていました。

ハイメと交際はしていたものの私はまだ独身で、なぜか結婚をするという考えは浮かびもしなかったので、私は方々に声をかけて援助を求めいろいろな策を講じました。ところが全て壁にぶつかり、結局はこれらの資格を取得できないまま日本に帰国するほかないという道しか見えなくなって来ていました。

万策尽きて学生ビザも数日後に切れるというある朝、バルセロナ市内のパン屋に入ったときのことです。なぜその日に限って、住んでいたマスノウ市(バルセロナ郊外)の町のパン屋に行かなかったのかは不思議ですが、ちょうどそこに学校の隣に住むおばさんが私を見かけて飛び込んできました。

パン屋

「ビザは?まだ?それなら早く!急いで警察署に行きなさい!私の友人が労働許可書と住民権許可書にサインをする担当官の秘書で、今日の12時に退職するのよ!」 彼女は私にそのことをもっと前に伝えようとしてくれたのですが、私が彼女に電話番号を差し上げていなかったので連絡がとれないまま悶々としていてくれたらしいのです。パン屋に入る私を見るなり今が最後のチャンスと走り込んで来てくれたのでした。

時刻は11時。残り時間60分。

タクシーの走りをもどかしくすら感じつつ、息せき切って警察署に到着すると辛うじて間に合い、くだんの秘書の方が「これが私の最後の仕事になるわ。あなたの書類を一番上に乗せてあげるから、部屋に入ったら何も言わないでサインをもらって、急いで帰りなさい」と言って書類を渡してくれました。検察官は何も言わずにめくら判のサインをし、申請は最後の最後に無事通過したのでした。

盆栽棚

こうして今の盆栽・活花の仕事を得たのですが、私はこの時から今までずっと、この仕事は自分で獲得した物ではなく、与えられた仕事だと感じ続けてきました。今、神様がこうまでして私の生活を支えてくれた理由が手に取るように分かります。

私はこの後、いったん神様のもとを離れてしまうのですが、神様はそんな私を20年以上も経ってから呼び戻し、驚くべき祝福の中に導いてくださいました。この夏、神様は「あなた自身を神にさしだしなさい。正しい目的のために自分の全てを神に明け渡しなさい(ローマ人への手紙6章13節)」と私に語りかけ、自分が努力して状況を変えるのではなく、神様が働いてくださることを信じて信頼し、自分自身を捧げることが礼拝のすべてだということを教えてくださいました。(石松玲子)


今月の例会は18日(日曜)12時より、石松姉の盆栽園にてもたれます。どうぞ奮ってご参加ください。

今日、このブログを訪れてくださったあなたにも主の奇跡がなされますように。
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