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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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アッシリア、バビロニア、エジプト、そしてユダ
 


古い時代のこと。メソポタミア(現在のイラン・イラク地方)にバビロニア帝国が誕生した。王は、あの法典で有名なハンムラビ王。紀元前1763年のことだった。当時の芸術品を見ても、この第一バビロニア帝国のレベルの高さには驚かされる。相当な文明大国だったに違いない。しかし、紀元前1700年代後半に全盛を期したこの帝国は、1600年代になるとぐらつき始め、1595年に王朝の終わりを見ることになった。

この後、資料もろくに残されていない混沌としたメソポタミアが歴史を重ねるが、第一バビロニア帝国がある頃から、周辺の大国といえばアッシリア帝国、メディア帝国、エジプト王国であり、これらに挟まれるようにして、神が選んだ民の国、イスラエル・ユダ王国があった。


バビロニアとアッシリアの間には、互いの国を強大にするための領土争いが絶えなかったし、エジプトも機会があれば北上して領土を広げたが、ユダは自国を守るのが精いっぱいの弱小王国。しかも国は内乱の末に北と南に分裂してしまっていた(紀元前922年)。

旧約聖書を読むとよくわかるが、国王が神にそむくと国は弱体化し、国王が神の前に正しい者だと国は繁栄する。北イスラエル王国も南ユダ王国も、それぞれ悪王が続出するようになって国民が振り回され、国力は弱まった。そしてまず北イスラエル王国がアッシリアに敗北して民族ごとアッシリアへ連れて行かれ(紀元前721年)、南ユダ王国もエジプトの支配下に入れられ、弱体化の一途をたどっていた。

ところで、このバビロニアの周辺に住む部族のひとつにカルデア人があった。このカルデア人は知的レベルが高く、魔術に精通していた上、好戦的であったらしい。アッシリアは一旦このカルデアを征服したが(紀元前640頃)、その4半世紀後の紀元前612年、カルデア人がメディア人と協力して反乱を起こし、都市ニネヴェを占領、アッシリアを破って再びバビロニア帝国をメソポタミア史のヒノキ舞台に押し上げた。第二バビロニア王朝の発足である。



新バビロニアの建国がカルデア人の武力によるところ大であったことから、この国はカルデア王朝となった。初代国王はナボポラッサル(在位:紀元前625-604)。このナボポラッサル王の息子が次の王、ネブカドネツァル2世であり、ダニエル書の1章1節から4章の終りまで登場するバビロンの王である。



ベルリン博物館にあるネブカドネツァルを浮き彫りにしたカメオ
「主メロダクのtめに、バビロン王ネブカドネツァル、その生存中にこれを作らせる」
との銘が刻まれている


ダニエル書の学びのまとめ第一回は、歴史背景の説明に尽きてしまいましたが、メソポタミアに詳しい方はたくさんいらっしゃると思うので、このような簡単な説明では満足されない方も多いことでしょう。でも、メソポタミアを初めて旅する方たちには、ダニエルの時代を少しでも感じていただけたらと願っています。次回もダニエル書1章1節の背景を中心にした記事になりますが、この度はもっと動乱の時代のドラマです。お楽しみに。

今日、このブログを訪れてくださったあなたが、今日も主の前に正しく歩めますように。

| ダニエル書研究 | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
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