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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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経営者セミナー
 ある経営者セミナーでのこと。講演をしていた私に参加者のひとりが質問した。

「あなたの人生でなさった、最も大切なことは何でしたか」

私は電子エンジニアであり、参加者は皆、私の業務に関連した話を期待しているのだとわかっていた。その上で私は話し始めた。

私が自分の人生で為した最も重要な事は、2000年の5月9日に起こりました。その日私は、実に久しぶりに再会した旧友とテニスを楽しんでいました。彼も私との再会を喜んでくれ、つい最近、赤ちゃんが生まれて楽しい毎日だと近況を話してくれました。



そんな穏やかなテニスを続けていたそのとき、彼の父親が動揺した表情でコートに現れ、「赤ん坊が病院に担ぎ込まれた」と知らせてきました。当然、私の友人は取るものもとりあえず父親の車に飛び乗って病院へ走り去って行きました。

ひとり取り残された私は、どうすれば良いのかわらかず、立ち尽くしていました。

「彼を追って病院へ行くべきだろうか?」
でも私は思いました。私が行ったところで、赤ちゃんは医師たちの手に任されているし、私が何を言ったとしても事態を変えることはできない。私は何の役にも立てない。

「彼を精神的に支えることができるだろうか?」
それならできるかもしれない。しかし、彼も奥さんも大家族の出身だし、病院には既に大勢の親族が駆けつけていて、二人を支えていることだろう。私の存在は、そんな家族の空気を壊すだけだ。もうすこし後になってから病院に行ってみよう。

私はここまで考えると帰り支度を始めましたがその時、彼の車がコートの脇に、鍵をさした状態で残されているのに気が付いた。そこで私は彼の車の鍵を病院まで届けることにしました。



思ったとおり、病院の待合室は彼の家族・親族でいっぱいでした。ほどなく医師が姿を見せて子供の両親に近づき、低い声で赤ん坊の死を告げました。

ふたりは抱き合って泣きじゃくり、その場にいた皆が悲しみと痛みに打ち沈みました。
その時友人はふと私に気づいて近寄り、涙ながらに私の首に腕をまわしてこう言ってくれました。

「ここに一緒にいてくれてありがとう」

その日の午前中はずっと病院の緊急外来待合室に座り、友人と奥さんが死んだわが子を腕に抱いて、最後の別れを告げている姿を見つめていました。


これが、私が自分の人生で為した最も重要なことです。この時私は3つのことに気づいたのです。

ひとつは人生で最も重要なことは、私がそのことに対して全く無力である時に起きたということです。大学で学んだことも、仕事を通して学んだことも、この日の出来事には全く役に立たず、深い悲しみを抱えるふたりの人物の隣に居て待つことしかできませんでした。それ以外にできることはなかったのです。

二つ目は、考えれば考えるほど、感じる心を忘れるものだということ。

三つ目は、一瞬にして人生はこれまでと違ってしまうことがある、ということです。

ですから今、私たちは私たちの将来を現実のものとしてとらえ、職を失うことや重い病気、事故やその他多くの災いを受ける心配を忘れ去れば、一瞬のうちにその将来を違うものにできるはずです。

この日以来、私は仕事と自分の人生のバランスを見つめるようになりました。そして、仕事のためにバケーションを返上して働いても、夫婦が別れ別れになっても、休日に家族から遠く離れていることになっても、職業は決してこの犠牲を埋め合わせてくれるものではないということを知りました。

そして人生で最も大切なのは、お金を稼ぐことでも、昇進することでも、栄誉を受けることでもなく、友情を培うために時間をつかうことなのだ、と気づいたのです。


 鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。(箴言 27:17)

本当に久しぶりの投稿になってしまい、申し訳ありませんでした。投稿できないでいた間にもブログを訪問してくださった方々に心からお詫びと御礼を申し上げます。

バルセロナ日本語で聖書を読む会は今月も祝福のうちに終了し、来月は欧州でご活躍の牧師をお招きして、12月13日(土)に礼拝形式の集会を持つことになりました。同時におでんパーティーも企画しています。ぜひ奮ってご参加ください。(開催時刻など詳細は集会ホームページをご参照ください)

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、主の豊かな祝福がありますように。


| メッセージ | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ふたつの足跡


私はスペインの東側、オレンジで有名なバレンシアで生まれた。私が生まれる前に父が他界してしまったから、私にとっての親の記憶は母しかない。

彼女は非常に強い信仰を持った、貧しいが賢くて温かい人だった。母には多くを教えられたが、そのひとつは「幸せ」と「安泰」とは違うということだった。

50年代のスペインは、未亡人として一家を支える母には厳しい社会だったから、私に不自由のない生活を与えるというのは不可能で、安泰などあり得なかった。だから、私があらゆる問題を踏み越えて生き続ける希望を持てるように、というのが母の目標となっていた。

母は、私が犠牲を払わなければならないような時には、いつでも一緒にいてくれたし、そういう試みのときは必ずひとりぼっちでないことを私はその頃から体得していた。そしてこの事は私が学んだことのなかで最も大切なこととなっていった。

私はいつも栄養不足気味だったが、お陰でよく笑う少年時代をすごした。

高校に入るまでは公立学校で学んだ。小学校時代の担任は素晴らしい先生だったが、朝の始業の1時間前に子供達を集めて復習をさせるのを常としていた。だから私はかなり早起きしなければならず、夜明け前に家を出なければならなかった(バレンシア地方の冬の夜明けは8時ごろ)。そして母は、私が暗い道をひとりぼっちで歩くことのないように、毎朝一緒に学校まで同伴してくれた。


気候の良いバレンシアとはいえ、冬は寒い。舗装されていない泥道は夜の間に凍りつき、歩くと冷気が湿気と共に体の中に浸透してきた感覚を私は未だに覚えている。

そんな時、決まって母は私に言った。「私の後ろについて、私が踏んだところを踏んで歩きなさい。そうすれば少しは温かいでしょうから」そうして私は母の足跡を踏みながら学校まで歩いていったものだった。母の足跡の中に小さな足跡が重なっていく光景は、後から来た人にとって不思議なものだったのではないだろうか。

こうしたところで、私の足も体もちっとも温まりはしなかった。しかし、母のこの愛情のこもったアイデアに、私の心がとても温まったのをはっきりと覚えている。

60歳を過ぎた今、振り返るといつも試みのときの私は一人ぼっちではなく、主が必ずともにいてくださった。そしていつも私が歩く1歩前を、主が足跡を残していっておられたことに気づく。こうして私は社会の冷たさからいつも温められて生きてきた。私たちはどんな時でもひとりぼっちではないのだ。

Roberto Velert師のコメントより抜粋


道

一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。
わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。
あなたを見放すことも、見捨てることもない。
ヨシュア記1章5節

しばらくアップデートできませんで、失礼しました。その間もこのブログを訪れてくださった方々には感謝です。バルセロナ日本語で聖書を読む会の集まりは昨日もたれ、エステル記の学びの続きをしました。次回はこの学びの報告を掲載します。11月の集会は16日午後4時です。

今日もこのブログを訪れてくださったあなたの心が主によって温められますように。
| メッセージ | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
500 ユーロ
パブロは肩を落とし、生気のない顔でラウラと待ち合わせたカフェに入った。ラウラと世間話を始めたものの、話はすぐに横道にそれた。



「最近、ついてないんだ。仕事も、カノジョとの関係も、お金も、全部僕を見放していくようなことばっかりで・・・。もうお先真っ暗で、自分に愛想をつかしたよ」

ラウラはため息をつくパブロの前でポケットに手を入れ、新品の500ユーロ札(約8万円)を彼に見せた。「パブロ、これ欲しい?」



パブロは目を丸くして答えた。
「当然だよ。500ユーロ札だぜ。誰が欲しくないもんか」

そこでラウラはその新品のお札を片手の中に揉みいれ、くしゃくしゃにした。
そして、もっと目を丸くしているパブロにそのお札を広げて見せて言った。
「パブロ、あなたまだこのお札欲しい?」

ラウラが何を言いたいのか解せないままパブロは答えた。
「当然だよ。500ユーロ札には変わりないんだから、くれるんならもらうよ」

ラウラは次に、くしゃくしゃのお札を床に落とし、靴で踏みにじって汚くした。
さっきの真新しかった500ユーロ札はよれよれのお札になっていた。
「パブロ、まだこのお札欲しい?」

パブロにはこの展開の意味が全く理解できなかったが、ラウラに答えた。
「ラウラ、君が何をしようとしているのか僕にはわからない。
でもどんなに汚くても破らない限り500ユーロの価値は変わらないんだから欲しいよ。」

「パブロ、時には自分の思うように事が運ばなくて、人生がくしゃくしゃになったり、踏み潰されているような気がするときがあっても、あなたは以前と同じ価値を持った人間だっていうことを忘れちゃダメよ。

自問するなら、今どれだけ傷つき打撃を受けているかではなくて、本来の自分はどれだけ価値のある人間か、なのよ」



パブロはこのラウラの言葉に返す言葉を失った。それほど彼女の言葉は新鮮な輝きをもって彼の心に沁みこんでいった。

そんなパブロに、ラウラは広げたお札を渡して微笑んだ。
「はい。これあなたにあげるわ。次に気弱になったときに今日のことを思い出せるようにね。でもあなたは私に新品の500ユーロ札の借りをつくったこと、忘れないでね。次にあなたのようになった友達を元気づけるのに使うんだから」

そう言うとラウラはパブロの頬にキスをして出て行った。

パブロはもう一度お札に目を落とし、クスリと笑ってポケットに入れた。新たなエネルギーに満たされた彼はウェイターを呼んで勘定を頼んだ。




わたしの目にあなたは価高く、貴く、
わたしはあなたを愛し、
あなたの身代わりとして人を与え
国々をあなたの魂の代わりとする。 (イザヤ書43章4節)


今日このブログを訪れてくれたあなたに、神様の恵みがあふれますように。
| メッセージ | 05:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
鉛筆
自然の豊かな山の中に、少年が祖父の家にしばらく身を寄せて住んでいた。ある日のこと、彼は祖父が便箋に何か書き付けているのを見かけた。彼はは老人の隣に座り、しばらく手紙を書く祖父を見つめてからこう言った。

「おじいちゃん、僕のことを書いてるの?」

老人は書くのをやめ、孫のほうを向いて微笑んだ。「そうだよ。お前のことを書いている。でも私は今書いている文章よりも、使っている鉛筆の方が大切だと思っているんだ。お前が大きくなったらこの鉛筆のようになって欲しいと願っているよ。」老人はそう言ってまた書き続けた。



少年はまじまじと鉛筆を眺めた。何の変哲もない鉛筆である。そこで「でもそれ、なんてことのない普通の鉛筆じゃない。」と反論した。すると老人は彼に向き直り、こう説明した。

「見方次第だ。鉛筆には5つの特徴がある。この5つを生涯お前が忘れずにいられたら、きっと平安な人生を送れるはずだ。

一つ目は、鉛筆には書き手がいるということだ。この書き手が鉛筆の成す業を決める。お前は人生で大事を成し遂げることも可能だが、お前の人生の書き手が神であれば、成す業は神の御旨に適った業になる。

二つ目は、鉛筆は時々削らなければならないという点だ。削られるとき鉛筆は痛い思いをすることになるが、その後は研ぎ澄まされて、更なる痛みにも耐えうるようになる。



三つ目は鉛筆で書いた文字は消しゴムで消せるという点だ。消すのは、それが間違いだからというだけではない。終わりの日の審判へ続く道を整えるために消されるのだ。

四つ目。鉛筆で最も大切な部分は木でも塗料でもない。芯だ。お前はいつでも自分の内面に気をつけていなさい。

最後に五つ目。鉛筆は必ず跡を残す。お前も人生の足跡を常に残すことを忘れてはならないよ。ひとつひとつの行動に注意深くありなさい。」 

 

Valenciaパプテスト教会週報より抜粋


すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、
自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
信仰の創始者または完成者であるイエスを見つめながら。
(ヘブライ人への手紙12章1-2節)


現在、スペイン北部を旅しています。乾いた大地で有名なスペインでも、北部はよく雨が降るので緑豊か、歴史豊かな土地柄で、古代遺跡もたくさんあります。次回のブログ(19日ごろ予定)では、ちょっと趣旨は違うものの少しスペインをご紹介します。お楽しみに。

今日、このブログを訪れてくださったあなたに主のご加護がありますように。
| メッセージ | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
盲目の人
一人の美しい女性がいた。彼女はとても美しかったが、盲目だった。

そして目が見えないことを悲しみ、世を恨んだ。たった一人、彼女を深く愛する恋人以外のすべての人を恨んでいた。彼はそのことをとても悲しみ、悩んだ。



ある日、彼女は手術を受け、目が見えるようになった。彼女の喜びようは大変なものだった。そして恋人は彼女に結婚を申し込んだ。

しかし、彼女は断った。

今まで、どんなに暗い気分の時も忍耐して共にいてくれた恋人が、盲人だったからだった。

彼はその言葉を聞くと大変悲しみ、自らの命を断ち切ってしまった。



彼は最後のひとことを愛する彼女に送った。
「たったひとつだけお願いがある。僕の目を大切にして欲しい。君が見えるようになったのは、僕の目を君にあげたからなのだから。愛している」

私達は毎日のように不満を口にする。しかしその前に立ち止まって考えて欲しい。

結婚相手を批判する前に、孤独に打ちひしがれている人々のことを。
子供を批判する前に、子供が欲しくても持てない人々のことを。
食事の味を批判する前に、一皿の食事すら与えられない人々のことを。
家の小ささを批判する前に、屋根の下で眠ることを切望して止まない人々のことを。
仕事の内容を批判する前に、失職してどんな仕事でも欲しがっている人々のことを。
周囲の騒音を批判する前に、耳の聞こえない人々のことを。
歩かなければいけない距離を批判する前に、歩くことのできない人々のことを。
人の過ちを批判する前に、すべての人は過ちを犯すということを。

そして、今日ある命を、健康であることを、感謝してください。
この命はあなたが獲得したものではないのです。
神様からのプレゼントに他ならないのですから。



今日このブログを訪れてくださったあなたの健康が神様によって支えられますように。
| メッセージ | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
先生
マリア・ロドリゲスは今年、5年生の担任になった。学年の初日、彼女は他の先生がみんなするように、生徒達の前に立って嘘をついた。「私は自分の生徒達がみんな同じように大好きよ」

最前列にペペ・サンチェスという男の子が座っていた。マリアは以前からペペを見ていたので、彼があまりクラスメートと交流していないことを知っていた。彼が着ている服はうすよごれ、だらしなかった。彼は思ったとおり問題児で、マリアはいつも赤いペンで彼の成績表に「X」や「0」を大きく書き込んでは呆れていた。



ところで、毎年この学校では受け持ちの生徒の過去の記録に目を通すことが義務付けられていたので、マリアも自分の生徒達の記録を読み始めた。ペペの資料を見るのは後まわしにした。しかし、彼の1年生の記録を見たとき彼女はわが目を疑った。そこにはこう書かれていた。「ペペは笑顔の絶えない素晴らしい生徒で、勉強もよくでき、丁寧に仕上げ、性格もすばらしい。彼のような生徒が受け持てて幸せだ。」

マリアは急いで2年生の記録を探した。「ペペは優秀な生徒で、クラスメートとの関係も非常に良い。ただし最近、母親が不治の病で入院したことをとても心配している。家庭環境が難しくなってきたようだ。」

3年生の担任は次のように書いていた。「彼の母親が死亡し、彼は大きな打撃を受けた。立ち直ろうと努力しているようだが、父親が彼を突き放しているらしく、家庭環境がとても悪い状態にある。早めに何か手を打つべきだ。」



4年生の記録にはこうあった。「ペペは成績が落ち、学校に興味を失っている。すでに友達はほとんどなく、授業中も時々居眠りするほどになった。」

マリアは読み終わると深いため息をついた。目を閉じてペペの立場に自分を置き、彼の気持ちに自分の気持ちを合わせてみた。そして深い悲しみを味わった。

この悲しみはクリスマスの季節になって、子供達が先生にプレゼントを持ち寄る頃になるとさらに深まった。生徒達がマリアに持ってくる素敵な包装紙に包まれた贈り物にまじって、ペペから、おそらくは紙袋を破った紙でくしゃくしゃに包まれたプレゼントがあったのだ。マリアはその包みを皆の前で開けるのをためらったが、開けてみるとそこには古いブレスレットと、残りが半分もない香水の小瓶があった。これは彼の母の遺品に違いなかった。



クラスメート達はそれを見るとくすくすと笑い始めた。

しかしその嘲笑はすぐに消えた。マリアが目を輝かせてペペの贈り物を絶賛し、早速ブレスレットを着け、香水を手首に振りまいたのだ。このプレゼントは今まで生徒達から受け取った贈り物の中で最も価値の高いものだとマリアは思った。

ペペはその日、教室から級友達が全員退出するまで居残り、ひとりになるとマリアに歩み寄った。「ロドリゲス先生、今日の先生は僕の母の匂いがします。」ペペがそう言って教室を出た後、マリアの目には涙が溢れ、とめどなく流れ続けた。

その日以来、マリアは算数や読み書きの授業時間を少し削り、道徳教育を始めた。もちろんペペには特別に注意をはらった。

ペペは目をかければかけるほど能力を発揮するようになり、支えてあげるほどに反応も早くなっていった。そして学年末には、彼はクラスの優秀な生徒に転身していた。マリアにとっても彼は(初日の言葉にもかかわらず)一番のお気に入りの生徒になっていた。

1年後、マリアは自宅のドアの下に1枚のメモを発見した。それはペペからで、「ロドリゲス先生は僕の人生で出会った最高の先生です」と書かれてあった。



6年後の同じ頃、マリアはふたたび彼からのメモを受け取った。「大学の入学試験に3番でパスしました。今でもロドリゲス先生は僕の人生で出会った最高の先生です」と書かれていた。

さらに4年後、もう一枚の手紙を受け取った。それによると、大学の勉強は大変なこともたびたびあったが勉強を続け、もうじき優秀生として卒業する見込みだとあった。そしてロドリゲス先生以上の教員はやはりいなかったと書いてあった。

それからまた4年経ったある日、また手紙が届けられた。大学を終えたペペはしばらく世界を旅してみようと決めたとあった。いつものように手紙のしめくくりには、彼女がやはり最高の教師だと書かれてあったが、その後の署名はいつもと少し違っていた。医師を意味するDr.がつけられていたのだ。彼は外科医になったのだった。



ペペからの手紙は数年たってもう1枚届けられた。「僕はひとりの女性と知り合い、恋をしました。近く彼女と結婚式を挙げます。ただ、僕の父は数年前に息を引き取っているので親がいません。花婿の母親代わりとして式に列席してもらえないでしょうか。」 マリアはこの手紙を読むなりあることを心に決め、この申し出をすぐに承知した。

結婚式の日、マリアはペペから以前もらったブレスレットと香水を着けて式場に行った。その香水は、彼の母がペペと最後に過ごしたクリスマスにつけていた香水だった。ペペとマリアは久しぶりに再会して硬く抱擁した。立派に成長した Dr. Sanchez は母の香りに包まれたマリアの耳にささやいた。「ロドリゲス先生、僕を信じてくれてありがとう。僕に自分の価値を認めさせてくれ、僕が個性豊かな人物になれるようにしてくれたのは先生です。」

マリアはその言葉を聞くと、目に涙をためて静かに言った。「ペペ、あなたは間違っているわ。あなたこそ、私に生徒を変えることができることを教えてくれた人なのよ。あなたに会うまで私は教育が何なのかを知らなかった。あなたに会ってはじめて、人を深く思いやることの大切さを教えられたのよ。」

人を深く思いやる行為が、相手を、そして自分を変える力になる。主イエスはあらゆるときに、目の前にいる人を深く思いやってその人に触れ、彼の人生を変えられた。今このときも、あなたの悩み、あなたの苦しみ、あなたの痛みに思いをめぐらし、深い思いやりをもってあなたの隣に佇んでおられる。



Roberto Velert 師のメッセージより抜粋


今日もこのブログを訪れてくれたあなたに、主の愛が届きますように。
| メッセージ | 16:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
息子の絵


父と息子が二人で仲良く住んでいた。父は富裕層に属し、絵画のコレクターだった。家には多くの絵が掛けられ、親子は暇があると絵画論を楽しんだ。

そんな平和に満ちたある日、息子が徴兵されて戦地へ派遣されることになり、父はとても寂しい気持ちで彼を送り出した。

息子が任務を負う地がある日激戦区となり、戦友が銃弾にばたばたと倒れた。息子は戦場を走り回って彼らを次々と安全地帯に運んだが、ついに彼を銃弾が襲った。

息子の戦死を知らされた父の悲しみはあまりにも深く、苦しかった。



彼は毎日息子を思って絵画の多い屋敷の中でひとりぼっちで暮らしていたが、クリスマスが近づいたある日、ひとりの青年が訪問してきた。彼は大きな包みを腕に抱えてこう言った。「私はあなたの息子さんと戦地で一緒だった兵です。彼はあの日、本当に多くの兵士の命を助けました。そして最後に、傷ついた私を運んでいる最中に弾丸が彼の胸を貫いたのです。彼は・・・即死でした。」

「彼はとても良いやつで、あなたのことをしょっちゅう話してくれました。あなたと絵画のことをいつも語り合うのがとても楽しくて、次に会うのが楽しみだと。」

そこで彼は包みを渡しながら続けた。「こんなものが芸術的に価値あるものではないことは解っています。でも彼はきっと、あなたにこれを受け取ってほしいと思っていると感じたんです。」



包みを開けるとそこには息子の絵があった。確かに上手ではないが、心をこめて描かれてあり、何よりも息子の人格がその絵に表現されてあることに父はとても感動した。絵の中の息子のまなざしに胸打たれ、彼の目から思わず涙がこぼれ落ちた。

父は青年に心からの感謝を伝え、絵の代金を払おうとしたが、「とんでもないです。息子さんにはお金に変えられない大きな恩がありますから。この絵はお贈りします」と若者は受け取ろうとしなかった。若者は帰って行き、父はその絵を暖炉の上に安置して、訪問客があるごとに「息子」の絵をまず紹介した。

こうして父は余生を過ごし、ついに息を引き取った。

この家にある全ての高価な絵画を求め、屋敷の中で行われた競売に多くの知識人や金持ち層が集まった。競売スタンドには「息子」の絵も一緒に置かれてあった。そして競売が始まった。



「まずはこの絵、“息子”からはじめます。この絵を買いたい人はありませんか?」
会場はしんと静まり返った。
「“息子”を競り合う人はいませんか」  
誰かが言った
「我々はそんな絵を買いたくてここに来たんじゃない。もっと有名な絵を先に出せ」

しかし競売人は続けた。
「“息子”に値をつける人はいませんか。100ドル?200ドル?」
別の声が言った。
「ゴッホを出せ!レンブラントもだ!こっちは本物を競りに来たんだ!」

こうした批判にもかかわらず、競売人は執拗に“息子”を売り続けた。
「誰か“息子”を持っていく人はいませんか」
部屋の奥から小さな声がした。「・・・10ドルでもらえるものかね」
会場の皆が振り向くと、そこには父子にずっと仕えた貧しい庭師がたたずんでいた。
皆は早くこの絵を片付けたくていらいらしていた。

「10ドル!次の声をかける人はいませんか?いませんか?いませんか?」
「落札!10ドル!」



「これでようやく本物の競りが始まるな」
そう誰かが言ったとき、競売人が次の言葉を継いだ。
「紳士淑女の皆様、本日の競売はこれで終了しました。」
「何だって?他の全ての絵は売らないって言うのか!?」

「はい。申し訳ありません。競売に先立って極秘の決まりがありました。それは亡くなられたご主人様の遺言です。それによると“息子”の絵を一番最初に競りにかけ、この絵が売れた時点で競売を打ち止めること。そして残りの全ての財産は、この絵を買った者のものにすること、ということだったのです。」

“息子”を受け入れるものがすべてのものを相続する。神はまさに、私達の命を救うために“息子”をこの世に送ったのだが、彼は私達の手にかかって葬られた。しかし今、私達は“息子”を心に受け入れれば神の国の相続人となることが約束されている。


いつもこのブログを訪れてくださって有難うございます。バルセロナ日本語で聖書を読む会では、独自のホームページを作成しています。月報以外のページはほぼ出来上がりましたので、左コラムのリンク集に加えました。7月13日の「スパニッシュピアノと工藤篤子ゴスペルコンサート」ももちろんこのサイトで案内しています。入場無料。ぜひお越しください!

次回の集いは6月15日(日曜)午後4時より下山宅にて。旧約聖書のエステル記と、旧約続編のエステル記(ギリシア語)を読み比べながら学びます。お楽しみに!

今日、このブログを訪れてくださったあなたに主のご加護がありますように。


| メッセージ | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
明日
スペイン語を知らない人でも、明日を意味する「マニャーナ」という単語は知っている人はよくいます。スペイン語で「アスタ・マニャーナ」といえば、「また明日ね」という挨拶。「明日(で)間に合〜な」と覚えると簡単ですが、スペイン人が「マニャーナ」と言うとき、それは「いつか」を意味することが多く、そしてその日は「来ないでしょう」というケースが多いのも事実。「マニャーナおいで」と言われたら、はっきり言って「おとといおいで」と言われたようなものなのです。



明日・・・自分の心から悲観的な草を引っこ抜いて前向きな歩みを始めよう

明日・・・不機嫌にならないように気をつけよう

明日・・・現実的な視点を持って、平和と希望と笑顔のある生き方をしよう。

明日・・・自分についてとやかく言う人の言葉を忘れ、さっぱりとしよう。

明日・・・物事を途中であきらめず、努力を絶やさない1日を過ごしてみよう。

明日・・・この世の最後の日ではないことを神に感謝して過ごそう。

明日・・・嫉妬やうらやむ心を捨てて生きよう。これらは私から喜びを奪うのだから。

明日・・・全ての人に対して正直になろう。誠実な人物に生まれ変わろう。

明日・・・言葉を慎もう。川の奥底を流れる水が水面よりも静かに流れるように。

明日・・・人ではなく、神の思いを求めよう。人の脳からは人の思いしか湧かないのだから。



明日・・・辛抱強くなろう。辛抱の木がなす実こそ甘く美しいのだから。

明日・・・知識と知恵を見分けよう。知識は社会に役立つが、知恵が私を生かすのだから。

明日・・・人生は痛みを伴うことを認めよう。人は自分という大理石を、自分で刻んで形作るものなのだから。

明日・・・失敗のときに主から解決を探し出そう。そうして自分の人生に意義を見出すことが、喜びの泉となるのだから。

明日・・・主の御言葉に耳を傾けよう。そこに大きな幸せがあるのだから。

しかし、明日でなくてはならないものなのだろうか。今日、私達はこれらの人生の転機を実現する可能性の真っ只中を生きている。

Roberto Velert牧師のコメントより抜粋


しばらくアップできず申し訳ありませんでした。ただいま7月13日のコンサート企画を爆進中です。集会のホームページも新規に制作しており、半分ができあがりました。今月中に、できれば来週中に仕上げる目標はどうしても達成しなければなりません。できあがったらこのブログからもリンクします。楽しみに待っていてください。

次回のバルセロナ日本語で聖書を読む会は、15日(日)午後4時からの予定です。ぜひお越しください。

今日このブログを訪れてくださったあなたに神様のご加護が豊かにありますように。
| メッセージ | 05:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
神様あのね
南部イタリアにある学校で働いていたある教師は、毎年子供たちに「神様への手紙」を書かせることにしていた。

「イエス様、私たちは学校で Tomas Edison が光を発見したことを教えられました。でも聖書はあなたが光を創ったって書いています。つまり・・・エジソンは神様をパクったってこと?」 ダリア 9歳

「イエス様、僕ときどき、お祈りしているわけでもないのに神様のこと、考えるよ」
リカルド



「イエス様、あなたって天才だわ!毎晩毎晩お星様をひとつひとつ、同じ場所に置いていけるんだもの!」 カタリーナ

「イエス様、僕はカインとアベルにもひとつずつお部屋をあげていたら、殺したりはしなかったと思うんだ。だって僕と弟はそれでうまくいってるもの。」 ロレンソ

「イエス様、あなたって私たちが新しいものを発明する前に、もうその発明品を知っているの?」 ダニエラ

「イエス様、ずっとずっと春を待ち続けているのにまだ来ないの。もしかして忘れちゃったの・・・?」 シルビア

     

「イエス様、キリンってああいうふうに創りたかったの?それとも手が滑ってああなっちゃったの?」パトリシア

「イエス様、心配しないでいいよ。僕は道を渡るとき、ちゃんと右と左をよく確認するからね」 マルコ

「イエス様、今度教会に行ったとき、僕を見てくれたら新しい靴を見せてあげるよ!」ミゲル

「イエス様、弟をくれてありがとう。でもたしか、お願いしたのは子犬だったよね・・・」
ジヤンルカ



「イエス様、僕のガールフレンドをあんなに可愛く創ってくれてありがとね」マテオ

「イエス様、私は主の祈りが大好きなの。でもこれ、すぐに作文できたの?それとも何回か書きなおした?私は作文が苦手です。」 アンドレア

「イエス様、僕はあなたが大好きです。あなたは僕らが生きるために必要なものを全部くれるからです。でも、どうして僕らを死なせるのかがわかならないので教えてください。」 ダニエル 8歳

「イエス様、あなたが本当にいるって知ったら、もう寂しくなくなっちゃった」ノーラ



小さな哲学者たちの神様への手紙はまだまだ続く。
そしてこれらの手紙には、世界が神によって創られ、生き物は神によって命を与えられていることを純粋な気持ちで受け止めているのがわかる。子供たちは自分が神様から温かいまなざしを向けられていることを感じており、神が確かに存在することを疑わない。

神が、こうした彼らの手紙を心から喜ばれていることが感じられる。


はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。(マタイによる福音書18章3-4節)

今日このブログを訪れてくださったあなたも、主の温かいまなざしが感じられますように。
| メッセージ | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
Naipes
スペインには“NAIPES”と呼ばれる独特のトランプがある。南米にもあると思うが、スペインでカード遊びをする人は多くがこのナイペスを使い、普通のトランプで遊ぶ人はあまり見かけないといっても過言ではない。



このカードは1から12までしかなく、ハート、スペード、ダイヤ、クラブのかわりに、金貨、棍棒、聖杯、サーベルの4種類があって、10、11、12は絵札になる。

ある小さな教会の日曜学校の教師が天に帰り、彼のもとで聖書を学んでいた子供たちは大人の礼拝で静かにお話を聞くように指導された。しかしその中でひとり、いつもこのナイペスを手に持って、礼拝中も右手に左手に移しながら遊んでいる子がいた。

牧師はある日その子を呼び寄せて言った。
「君はもうお話がわかる年じゃないか。どうしていつも礼拝中、ナイペスで遊んでいるんだ?」

彼は手を開いた。そこにはやはりナイぺスがあった。金貨の1から12までのカードだ。



「金貨の 1 のカードを見ると、私たちの神はただ一人の生きた本物の神様だって教えてくださった先生の言葉を思い出すんです」

「金貨の 2 のカードを見ると、イエス様は天の神様のたったひとりの子で、親子でぼくたちを愛して救ってくださったという先生の教えを思い出すんです」

「金貨の 3 のカードを見ると父と子と聖霊は3つの人格だけどもひとつだって教えてくださった先生の言葉を思い出すんです」



「金貨の 4 のカードを見ると、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと、福音書は4つあることを教えてくださった先生の言葉を思い出すんです」

「金貨の 5 のカードを見ると、10人の乙女のうち、ともしびを灯して主人を迎えた賢い5人の乙女たちの話を思い出すんです」(マタイ25章1-13)

「金貨の 6 のカードを見ると、6日で世界を創造された神様の業を思い起こすんです」(創世記1章1-31)



「金貨の 7 のカードを見ると、天地創造を完成された神様が7日目を聖別し、安息日として祝福されたことを思うのです」(創世記2章1-3)

「金貨の 8 のカードを見ると、ノアの方舟に乗って洪水を生き延びた8人の生存者を思い出すのです」(創世記7章13)

「金貨の 9 のカードを見ると、イエス様がいやされた10人のライ病人のうち、たったひとりがイエス様のところに戻って感謝をささげた話を思いだすんです」
(ルカ17章11-19)



「金貨の10のカードを見ると神様が山でモーセにくださった十戒を思い出すんです」(出エジプト20章)

「金貨の11のカードを見ると、ここに馬に乗った騎手が描かれているので、いつの日か神が白馬の騎手となって来られるという話を語ってくださった先生の言葉を思い出すんです」(黙示録19章11-16)

「金貨の12のカードを見ると、ここに冠をかぶった王が描かれているので、私たちの神は王の王だとお話くださった先生の言葉を思い出すのです。先生が語ってくださったひとつひとつの聖書の話を思い起こさせてくれるこの Naipes は、僕のミニ聖書なんです」

Robert Velert 牧師のメッセージより抜粋




今日もこのブログを訪れてくださって有難うございます。
私たちは13日、豊かな祝福のうちに恒例の集会を持ちました。
次のブログではその日の様子をご紹介します。

今日このブログを訪れてくださったあなたを、主が大いなる愛で包んでくださいますように
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