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バルセロナで日本語の礼拝に参列したい、聖書を読んでみたい、と思う方々への案内用ブログです。プロテスタントとカトリックの合同集会ですが、洗礼を受けているか否かに関わらず、聖書に興味をもたれる方ならどなたでも歓迎します。なお、統一教会やエホバの証人など、いわゆる異端といわれる宗派とは一切関係ありません。
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ヘロデ王

 主イエスが生まれた当時、ユダヤを支配していたのはヘロデという王だった。



ヘロデは実に野心の強い王だった。ユダヤの王になることと権力者として評価されることは、特に彼の悲願だった。彼は独裁者として采配を振り、自分のために全てを手配し、邪魔者を追いやっていた。

ヘロデは、神から実に遠い存在だった。

そこへ、「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と、占星学者たちが尋ねてきた。自分以外にユダヤの王になる人間が生まれるなど、もってのほかだ。ヘロデの頭に血が上った。

よく考えてみれば、今生まれたばかりの赤ん坊が王になるには30年近くは要するはずだ。しかしヘロデにはそれが待てなかった。次の王の存在そのものが許せないのだ。そして大きな罪をおかした。

学者たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させたのだ。


ヨセフとマリアはちょうどそのころ、天使からの知らせによって事前にエジプトに逃れていたので生まれたばかりのイエスを死なせずにすんだが、これがイエスを殺そうとした最初の事件となった。

この後も、主イエスを殺そうとする人には切りがない。実際に手をくだすところまで行かなくても、彼を精神的に殺して行った人々は数知れないのだ。彼らはイエスを否定し、イエスの存在を無視し、イエスをだまし落そうとし、イエスを売り渡し、イエスの死を人事だと感じた。私たち自身にこのようなことをされたら、私たちは深く傷つき、挫折するだろう。

それでは聞くが、私たちは主イエスにどのように接しているだろう。
社会の権力や評価を求めるあまり、主イエスを脇に押しやっているのではないだろうか。
実は、私たちこそヘロデなのではないだろうか。

このクリスマスに、本当の意味で私たちが主の前にへりくだり、主の愛を心から喜んで受け入れることができるように祈っています。

パブロ・マルティネス師のメッセージより抜粋


クリスマスおめでとうございます。
このクリスマスに、主があなたの心を愛で満たしてくださいますように祈ります。

| メッセージ | 04:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
汚い藁
数年前のクリスマス、私は礼拝堂のイスに座って牧師が語るメッセージを聞いていました。メッセージはマリアの賛歌(ルカによる福音書1章46-56)がテーマだったと思います。彼女は結婚する前にみごもり、親戚のエリサベツの家に3か月ほど滞在したときに彼女と語り合い、神を心から称えたのです。

妊娠初期の3か月といえば・・・ 礼拝中にもかかわらず、私はマリアの時代へと空想の中で浮遊していきました。

時は紀元前のユダヤ社会。厳しい戒律を守り切ることが定めとされている時代ですから、もちろん婚前交渉や同棲など許されません。未婚の女が妊娠したら直ちに裁判にかけられ、頭から布をかぶせられて穴に下半身を埋め込まれ、周囲から皆に石を投げつけられて死ぬ。それが正しいとされる世界でしたから、清く正しい生活を送っていたマリアのところに突然天使が現れて「おめでとうマリア、あなたは身ごもって男の子を産みます」と言われた時には愕然としたことだろう。



目の前真っ暗、気絶寸前のマリアには自分が石打の刑に処せられる姿が目に映ったに違いない。「どうしてそんなことがありえましょうか」と反論するが、天使は「あなたの親類エリザベトもすでに妊娠6ヶ月です。神にできないことはないのです」と言葉をつなぐ。ついにマリアが天使に「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と言うが、本当は内心、夢であってくれと願っていたのではなかったかと空想した。

しかし妊娠は現実となって現れた。つわりの症状が発生したのだ。肉売りの前や各家の食事の支度の臭いを嗅ぐたびに「うっ」となる状況は、妊娠を経験した女の目にすぐそれと知れる。マリアは母に泣いて相談し、母は半狂乱になった。そして母娘は途方にくれた。

「そうだ、親戚のエリザベツを訪問させよう。妊婦の親戚を手伝いに行くという理由なら誰にも怪しまれないし、きっとエリザベツならマリアを理解してくれるかもしれない」彼女たちはさっそくそう決め、マリアは支度を整えて出かけて行った。



エリザベツはマリアをみると喜んだ。顔色が悪いと思ったが、挨拶をした時に自分の胎児がいつもと違う大きな動きをしたことで鋭く察し、「あなたは主のお母様になるのだわ」とマリアを祝福した。驚いたのはマリアの方だろう。途方にくれた状態で親戚の家に着いたとたん、状況がすべて察知されたのだから。マリアはさっそくこれまでのいきさつを隠さず話し、ふたりは夜通し語り合った。ここまで来て、ようやくマリアは事態を現実として受け止めることができ、未婚の状態で神の子を出産することを受け入れることができたのだ。だからこんなに素晴らしい賛歌がその口からほとばしったのだ、と空想の中で私は感じた。

3か月もするとつわりはおさまり「遠隔地で許婚者と結婚した」という形でマリアは実家に戻った。そして心穏やかな妊娠の日々を送った。

しかし、穏やかな日はそう長く続かなかった。住民登録をするようにという勅令が下り、長い旅に出なければならなくなったのだ。旅は妊婦にとって危険である他、道中はいたるところで山賊も出る。「神が望んでおられる妊娠なのに、どうしてこんな危険な旅を?」と、私なら神様を疑いたくなるだろう。マリアはどうだったか知らないが、とにかくヨセフとともにベツレヘムへと旅立った。

旅はなんとか守られたが、ベツレヘムに着いたころ、マリアは産気づいてしまった。今夜は野宿するわけにいかない。ヨセフは走り回って宿を探した。1軒、また1軒と小走りに探すが、事情を話しても誰も空き部屋がない。周囲も旅人ばかりで皆、他の人を助ける余裕もなさそうだ。マリアはうずくまってしまった。・・・「もう歩けない」
その彼女を見て「馬小屋でよければ」という申し出は、不幸中の幸いと受け取るしかなかった。



出産を助けてくれる産婆も登録で町を出ていたのかもしれない。産婆を連れてきてもくれる人もなかった。ヨセフは大急ぎで藁をかき集めてマリアを寝かせ、どうすればよいのか全く分からない状態で出産の準備をした。誰からも助けてもらえない孤独な状況のなかで、とても緊迫した出産が始まり、しかし赤ちゃんは無事に生まれて元気な産声を上げた。二人の安堵はどれほど大きかったことだろう。

「そうだ、赤ん坊を寝かせる藁を集めなければ」ヨセフは飼い葉おけに藁を集めた。しかし、その藁には牛馬の糞がところどころに付き、よく見ると虫も這っていた。空想の中で、私は確かに虫が数匹うごめいているのを見たのだ。

「初めての子供をこんな危険な事態のなかではらませ、こんな危険な旅を強い、生まれても普通の部屋にも置いてやれないばかりか、こんな汚い藁に寝かせるなんて、冗談じゃない。私を祝福するといわれた神様がこんなことをするはずながい!」 短気な私は、自分だったらわが子を不憫に思うあまり、そう胸の内に思うだろうと思った。その時だった。私の胸に神様の言葉が直撃してきたのだ。

「その藁は、お前だ」

私はとても驚いた。その言葉に、というより、この予想だにしない一言のフレーズが、まさに電光直下のごとく私の胸の内に入ってきたことに驚いたのだ。それから私はこの言葉の意味を知った。

そう、認めたくなかったが、私は確かに汚い藁、虫の這った藁なのだ。そんな人間なのだ。それなのに、その汚い藁に神様は自分の子を寝かせることを良しとした。そうすることで私を浄化できるのだから。そしてそのために、ただ私のために、神はマリアにこれほどの苦労を負わせたのだということがわかり、私の心は感動でうちふるえた。

この日、私という汚い人間の胸に主イエスが生まれた。

そして我に帰ったとき、講壇の牧師が読み上げたマリアの賛歌は、そのまま私の告白となった。

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう。
(ルカによる福音書1章47-48節)

下山由紀子

またアップロードに時間がかかってしまい、恐縮です。
今日、このブログを訪れてくださったあなたに、神の救いがありますように。
| | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
めぐみ

 11月のバルセロナ日本語で聖書を読む会の定期集会は、11月16日、主催者宅にてもたれました。今回は31年前に北朝鮮に拉致されたまま、未だに母国に帰ることも、肉親に会うこともできずにいる横田めぐみさんの事件を再び認識し、祈りを深めるためにDVD『めぐみ』を鑑賞しました。



この映画は横田めぐみさんの事件に大きな衝撃を受けた映画監督、クリス・シェリダン氏とパティ・キム氏が2年の歳月をかけて製作し、米国で放映して大きな反響と感動を呼んだ作品です。

横田めぐみさんは1977年11月15日午後6時すぎ、通っていた中学校のバトミントン部の活動を終えて帰宅する途中、北朝鮮の工作員に拉致されました。

その後約20年経ってからめぐみさんが北朝鮮にいるという情報が確認されるまでの、横田さんご夫妻の苦悩は想像を絶するものでした。家出か、誘拐か、蒸発か・・・。警察を動員し、テレビ・新聞で呼びかけ、必死の捜索にもかかわらず全く手がかりのないまま年月が過ぎていきます。

ようやくめぐみさんの拉致が明るみに出、娘の生存に安堵したものの、生還を果すために始まった日本政府との折衝もまた困難を極めるものでした。なぜ政府は、日本国民が拉致されているのに積極的にこの問題に取り組もうとしないのか・・・。

政府だけに頼るだけでなく、今度は自ら人々に呼びかけるために立ち上がるご夫妻。めぐみさんの写真を掲げ街頭で応援を求めますが、通行人の多くは冷たい目で見やって通り過ぎていきます。しかし、こうした活動を、どんなに疲れても再び立ち上がって続けていくご夫妻の姿は実に胸に迫るものがあります。

この映画は事件の断片をドキュメンタリー調でまとめていますが、途中で北朝鮮の工作員だった男性とのインタビューが収録されています。「めぐみさんを拉致したのは私が良く知っている同僚です。彼女を船室に閉じ込め、あとで扉を開けたところ、彼女はおかあさんの名前を絶叫しながら鉄の扉をかきむしったために血だらけで、その上船酔いで嘔吐したものが血に混じり、すさまじい状態になっていました。彼はその姿を見て大変なショックを受け、その後気が狂ってしまったのです。」



娘を、家族をこのようなひどい目に遭わせた憤りと、娘らへの愛情にかられる横田さん一同は執拗に政府に訴え続け、その甲斐あってようやく北朝鮮政府が拉致事件を認めて謝罪し、拉致した人を帰国させるという約束に漕ぎつけます。ところが、これでやっと娘と会えると希望を持った矢先、「横田めぐみさんは既に死亡しています」と北朝鮮から報告され、夫妻は再び絶望の淵に立たされます。

しかし、めぐみさんの死を裏付ける確固たる証拠を見せない北朝鮮政府の報を信じず、横田さんご夫妻は引き続き、めぐみさん救出のための戦いに献身されています。

前述の元工作員はインタビューの中でコメントしています。
「めぐみさんは生きていますよ。金正日の息子に日本語を教えているようなことも聞きました」

めぐみさんのお母様はこの事件に打ちのめされて生きる望みを見出せなかったある日、聖書を渡されてヨブ記を読み、信仰の道に進む決心をされます。教会は横田さんの事件を心に留め、この事件の解決のために祈るブルーリボンの祈りの会を発足させました。私たちバルセロナのメンバーもブルーリボンの祈りの会の一端を成し、1日も早い拉致被害者のご帰国のために祈り続けます。



私の選ぶ断食とはこれではないか。
悪による束縛を断ち、
くびきの結び目をほどいて
虐げられた人を解放し、
くびきをことごとく折ること。
(イザヤ書58章6節)

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、平和が満たされますように

| 近況報告 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
経営者セミナー
 ある経営者セミナーでのこと。講演をしていた私に参加者のひとりが質問した。

「あなたの人生でなさった、最も大切なことは何でしたか」

私は電子エンジニアであり、参加者は皆、私の業務に関連した話を期待しているのだとわかっていた。その上で私は話し始めた。

私が自分の人生で為した最も重要な事は、2000年の5月9日に起こりました。その日私は、実に久しぶりに再会した旧友とテニスを楽しんでいました。彼も私との再会を喜んでくれ、つい最近、赤ちゃんが生まれて楽しい毎日だと近況を話してくれました。



そんな穏やかなテニスを続けていたそのとき、彼の父親が動揺した表情でコートに現れ、「赤ん坊が病院に担ぎ込まれた」と知らせてきました。当然、私の友人は取るものもとりあえず父親の車に飛び乗って病院へ走り去って行きました。

ひとり取り残された私は、どうすれば良いのかわらかず、立ち尽くしていました。

「彼を追って病院へ行くべきだろうか?」
でも私は思いました。私が行ったところで、赤ちゃんは医師たちの手に任されているし、私が何を言ったとしても事態を変えることはできない。私は何の役にも立てない。

「彼を精神的に支えることができるだろうか?」
それならできるかもしれない。しかし、彼も奥さんも大家族の出身だし、病院には既に大勢の親族が駆けつけていて、二人を支えていることだろう。私の存在は、そんな家族の空気を壊すだけだ。もうすこし後になってから病院に行ってみよう。

私はここまで考えると帰り支度を始めましたがその時、彼の車がコートの脇に、鍵をさした状態で残されているのに気が付いた。そこで私は彼の車の鍵を病院まで届けることにしました。



思ったとおり、病院の待合室は彼の家族・親族でいっぱいでした。ほどなく医師が姿を見せて子供の両親に近づき、低い声で赤ん坊の死を告げました。

ふたりは抱き合って泣きじゃくり、その場にいた皆が悲しみと痛みに打ち沈みました。
その時友人はふと私に気づいて近寄り、涙ながらに私の首に腕をまわしてこう言ってくれました。

「ここに一緒にいてくれてありがとう」

その日の午前中はずっと病院の緊急外来待合室に座り、友人と奥さんが死んだわが子を腕に抱いて、最後の別れを告げている姿を見つめていました。


これが、私が自分の人生で為した最も重要なことです。この時私は3つのことに気づいたのです。

ひとつは人生で最も重要なことは、私がそのことに対して全く無力である時に起きたということです。大学で学んだことも、仕事を通して学んだことも、この日の出来事には全く役に立たず、深い悲しみを抱えるふたりの人物の隣に居て待つことしかできませんでした。それ以外にできることはなかったのです。

二つ目は、考えれば考えるほど、感じる心を忘れるものだということ。

三つ目は、一瞬にして人生はこれまでと違ってしまうことがある、ということです。

ですから今、私たちは私たちの将来を現実のものとしてとらえ、職を失うことや重い病気、事故やその他多くの災いを受ける心配を忘れ去れば、一瞬のうちにその将来を違うものにできるはずです。

この日以来、私は仕事と自分の人生のバランスを見つめるようになりました。そして、仕事のためにバケーションを返上して働いても、夫婦が別れ別れになっても、休日に家族から遠く離れていることになっても、職業は決してこの犠牲を埋め合わせてくれるものではないということを知りました。

そして人生で最も大切なのは、お金を稼ぐことでも、昇進することでも、栄誉を受けることでもなく、友情を培うために時間をつかうことなのだ、と気づいたのです。


 鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。(箴言 27:17)

本当に久しぶりの投稿になってしまい、申し訳ありませんでした。投稿できないでいた間にもブログを訪問してくださった方々に心からお詫びと御礼を申し上げます。

バルセロナ日本語で聖書を読む会は今月も祝福のうちに終了し、来月は欧州でご活躍の牧師をお招きして、12月13日(土)に礼拝形式の集会を持つことになりました。同時におでんパーティーも企画しています。ぜひ奮ってご参加ください。(開催時刻など詳細は集会ホームページをご参照ください)

今日、このブログを訪れてくださったあなたに、主の豊かな祝福がありますように。


| メッセージ | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
愛の力 (ジョーク)
 よくある話だが、恋愛結婚をしたはずの夫婦が次第に愛情に冷め、相手への不満をつのらせながら年月を重ねた。14年経って、いい加減けんか腰の毎日にも疲れた頃、すぐに別れる前にカウンセリングに通うことにした。

この夫婦を担当したカウンセラーは、まず夫に聞いた。
「何が問題なのですか」

夫は肩をすぼめ、口をへの字に曲げたまま何も言わなかった。



そこでカウンセラーは今度、妻に同じ質問をした。
妻はマシンガンのごとく問題点を挙げ続けた。

「夫は全く家に居つかず、私に家事を押し付けて遊んでいる」
「子供達の教育に関して全く責任を持たない」
「毎日つくる食事にも感謝の言葉ひとつない」
「毎晩のいびきがうるさくて安眠妨害、疲れが取れず精神が休まらない」
「社交性に欠けている」
「掃除したこともないのに家が汚いと文句を言う」
「私の両親に冷たい」
「トイレの使い方が汚い」
「会話といったら文句ばかり」
etc. etc. etc.

まだまだ話し続ける妻を見ながらカウンセラーは立ち上がり、ゆっくりと妻に歩み寄った。そしてお構いなく続ける妻の両腕を取り、彼女を立ち上がらせたかと思うと、驚いたことに彼は

=彼女にとても情熱的なキスをした=

妻は目を丸くしてカウンセラーを見、絶句していた。
カウンセラーは夫を見るとこう言った。

「今の彼女に必要なのはこれですよ。少なくとも週に2回はね。」

すると夫が答えて言った。
「分かりました。では火曜と木曜に連れてきます」


分かります?カウンセラーは夫に、初心に戻って彼女を心から愛するようにとアドバイスしたのに、夫は、週2回カウンセラーにキスしてもらえば妻は自分に優しくなると勘違いしたのです。本質を間違えているのです。スペイン人たちはここで大笑いしていました。

愛には真実に人を根本から変えてしまう力がある。親の愛が、夫の愛が、妻の愛が、子供の愛が、友の愛が、先生の愛が、人を変えた例は数限りない。そして神の愛に変えられた例は、聖書の中にも現実の世界にも明らかに語られている。あなたは他でもない、神に深く愛されている。



知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
信仰と、希望と愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
コリント人への手紙8章1節、13章13節)

Robert Velert 師の礼拝メッセージより抜粋

今日このブログを訪れたあなたが、神の深い愛を感じることができますように。


| ジョーク | 06:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
決断のとき
 

宮殿には規則がある。たとえば、悲しみの装束を着けた格好では門の中に入ってはいけない。また、王にいつでも近づけるのは側近だけで、他の者は王妃を含む全員、許可があるまで近づいてはならない。もし近づいたら謀反と見なされて殺される。など。他にもたくさんの決まりがあったに違いない。王宮に出入りしていたモルデカイも勿論これらの規則は知っていた。

 

にもかかわらず、裂かれた衣服と粗布をまとい、頭から灰を被った悲しみの装束で彼は王宮まで来た。事態を打開するには娘であり王妃であるエステル以外に頼れる人がない。しかし彼は門の中に入れず、またエステルから送られた服にも着替えない。彼は徹底したユダヤ人だから、ペルシア全土のユダヤ人と同じ姿勢を貫き、王妃の親の特権を行使して自分だけ綺麗な服を着、王宮に入るようなことは考えられない。その上、モルデカイとエステルの関係はまだ王に伏せてあった。彼は中に入れないまま宦官にエステルへの言伝(続編48節)を託した。


 

ニュースを受け取り、自分に果された使命を聞かされてエステルは卒倒するほど驚き、「私も王に許可がないと近づけない立場にあるのに、ここ30日お召しがないのです」と言い訳をする。あれほど王が惚れ込んだエステルに1ヶ月もお呼びがかからないとはどういうことか。推測するために年表を開いてみたところ、クセルクセス王はこの頃、父王が果せなかったギリシア征服をもくろんでの第2次ギリシア遠征に相当苦心していた。480年のサラミスの海戦ではギリシアの優れた軍船により敗退し、479年のプラタイヤの陸戦では、ペルシアは大量傭兵による強力かつ統制なき軍団で、地の利の不利な場所での不意を突かれたギリシア軍の戦略敢行によって総崩れ惨敗した。その後、自信を得たギリシアはアテネ黄金期を迎え、ペルシアはギリシア軍に反撃されたまま、長期間、戦時体制が続いていたのである。

 


つまり、戦況が最悪の状態を迎えて、王は大変苛立った状態にあったことが想像される。夜も眠れなかっただろう。その状態の王に勅書をくつがえすようお願いするなど、とてもエステルには考えられない。自分がユダヤ民族であることも明かさねばならない。一体この短気な王はどう反応するだろか。事態が改善されるまで、もうしばらく待ってもらえたら何とか手も打てるかもしれないが、ユダヤ人側にも残された時間はない。モルデカイは「あなたが王妃になったのは、このときのためではなかったのか。」と次の伝言を伝える。エステルはわが身の立場を思い知った。自分にはとうていできる業とは思えない。しかし、自分以外にこの事態に立ち向かえる人はいない。もはや選択の道はない。

 

「スサの全てのユダヤ人を集めて私のために33晩、断食の祈りをささげてください。それから王のもとに行きましょう。

このために死ななければらないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」 エステルはそう言って自室に入り、憂いと悲しみの衣をまとって灰をかぶった。続編にあるモルデカイとエステルのそれぞれの祈りは、神の助けのみを求める切実な祈りである。


 
実社会の中で、私たちも時折エステルのような立場に立つ経験をする。自分には負いきれない荷を負わされて大いに困惑するが、周囲を見渡しても自分以外に誰も適任者がいない。重責と孤独感にさいなまれ、失敗するかもしれないという予感に悩まされながら切実に神に祈るとき、私たちの心はこれまでになく神に直結しているのではないだろうか。そして神はそのような祈りを必ず聞いてくださる。

10月12日 バルセロナ日本語で聖書を読む会の学びより

全ての人に力を及ぼされる神よ、

希望を失ったものの声に耳を傾け

われらを悪人の手から救い

わたしを恐れから解き放ってください。

旧約続編エステル記 C エステルの祈り

| エステル記の学び | 03:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ふたつの足跡


私はスペインの東側、オレンジで有名なバレンシアで生まれた。私が生まれる前に父が他界してしまったから、私にとっての親の記憶は母しかない。

彼女は非常に強い信仰を持った、貧しいが賢くて温かい人だった。母には多くを教えられたが、そのひとつは「幸せ」と「安泰」とは違うということだった。

50年代のスペインは、未亡人として一家を支える母には厳しい社会だったから、私に不自由のない生活を与えるというのは不可能で、安泰などあり得なかった。だから、私があらゆる問題を踏み越えて生き続ける希望を持てるように、というのが母の目標となっていた。

母は、私が犠牲を払わなければならないような時には、いつでも一緒にいてくれたし、そういう試みのときは必ずひとりぼっちでないことを私はその頃から体得していた。そしてこの事は私が学んだことのなかで最も大切なこととなっていった。

私はいつも栄養不足気味だったが、お陰でよく笑う少年時代をすごした。

高校に入るまでは公立学校で学んだ。小学校時代の担任は素晴らしい先生だったが、朝の始業の1時間前に子供達を集めて復習をさせるのを常としていた。だから私はかなり早起きしなければならず、夜明け前に家を出なければならなかった(バレンシア地方の冬の夜明けは8時ごろ)。そして母は、私が暗い道をひとりぼっちで歩くことのないように、毎朝一緒に学校まで同伴してくれた。


気候の良いバレンシアとはいえ、冬は寒い。舗装されていない泥道は夜の間に凍りつき、歩くと冷気が湿気と共に体の中に浸透してきた感覚を私は未だに覚えている。

そんな時、決まって母は私に言った。「私の後ろについて、私が踏んだところを踏んで歩きなさい。そうすれば少しは温かいでしょうから」そうして私は母の足跡を踏みながら学校まで歩いていったものだった。母の足跡の中に小さな足跡が重なっていく光景は、後から来た人にとって不思議なものだったのではないだろうか。

こうしたところで、私の足も体もちっとも温まりはしなかった。しかし、母のこの愛情のこもったアイデアに、私の心がとても温まったのをはっきりと覚えている。

60歳を過ぎた今、振り返るといつも試みのときの私は一人ぼっちではなく、主が必ずともにいてくださった。そしていつも私が歩く1歩前を、主が足跡を残していっておられたことに気づく。こうして私は社会の冷たさからいつも温められて生きてきた。私たちはどんな時でもひとりぼっちではないのだ。

Roberto Velert師のコメントより抜粋


道

一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。
わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。
あなたを見放すことも、見捨てることもない。
ヨシュア記1章5節

しばらくアップデートできませんで、失礼しました。その間もこのブログを訪れてくださった方々には感謝です。バルセロナ日本語で聖書を読む会の集まりは昨日もたれ、エステル記の学びの続きをしました。次回はこの学びの報告を掲載します。11月の集会は16日午後4時です。

今日もこのブログを訪れてくださったあなたの心が主によって温められますように。
| メッセージ | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
先祖の仇
聖書を読む会の定期集会は9月21日午後4時にPiedra de Ayuda教会にてもたれました。今回はエステル記の続きの学びで、3章1節から4章3節までを、背景を調べながら読みました。

エステル記よりも遥か昔、モーセの時代にイスラエルはアマレク人と戦った。モーセが杖を手に持って腕を挙げ続けると主の御力が現され、遂に彼らを打ち破った。そのときに主は言われた。「わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る」(出エジプト17章) 



時は過ぎ、サムエルが預言者であった時代に主はふたたびアマレクと戦うことをサウル王に命じた。 「行け。アマレクを打ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼしつくせ」 サウルは早速戦に向かい、アマレクを打ち倒して彼らの王アガグを生け捕りにした。(サムエルI 15章) “アガグ人ハマン”とはこのアマレク人の王を祖先に持つ者であった。

キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属する、とエステル記2章で紹介されているモルデカイ。先祖キシュはサウル王の父であり、シムイもサウル家一族の出の者であるから、モルデカイはかつてアマレク人を打った当事者サウルの子孫ということになる。

つまり、モルデカイとハマンは先祖代々からの宿敵であった。ハマンは今や王の右腕になるまでに出世していたが、一方のモルデカイは捕囚民としてペルシアに移民した民。このモルデカイがハマンに敬礼しなかったのは、ハマンが民族の敵だったからか、あるいは神以外の存在に敬礼することを良しとしなかったからなのか、聖書には書かれていないが続編には「わたしがひれ伏さなかったのは、神の栄光の上に人の栄光を置かないためでした」とある。いずれにせよモルデカイはハマンに敬礼をしないことが間違っていないことを確信していた。



そしてハマンは彼に敬礼をしない目障りな男がユダヤ人だと知った。モルデカイがユダヤ人だったことをかえってハマンは好機と思っただろうか。こうなったらモルデカイだけを罰するのではなく、ユダヤ民族を皆殺しにしたい。民族の仇を取るなら今がチャンス。早速王をまるめこみ、同僚たちと共に王の名義で勅書を書いた。続編に勅書の全文が書かれているが、そこではハマンがこれ以上ないほど絶賛されている。そして、「12月14日(*) をもってユダヤ民族は全滅する」という勅書にペルシア全土のユダヤ人は震え上がった。モルデカイの「正しい」はずの行為がこのような取り返しのつかない事となって裏目に出てしまった。モルデカイは都の中に出て苦悩の声を上げる。 (*) 続編:「くじはアダルの月の14日に当たった」より。

私たちにも、彼の気持ちがよくわかりました。それは恐らく現代社会でも同じ経験が繰り返されているからでしょう。過去のわだかまりを引きずり、いつか逆転ホームランを打って相手を負かしたい。そういう思いが人間の心の中に潜み、取り返しのつかない事態を招いてしまう。しかしその事態に神が働きかけてくださるという見通しがあることに感謝しつつ読みました。

今日このブログを訪れてくださったあなたを主が聖別してくださいますように。
| エステル記の学び | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
500 ユーロ
パブロは肩を落とし、生気のない顔でラウラと待ち合わせたカフェに入った。ラウラと世間話を始めたものの、話はすぐに横道にそれた。



「最近、ついてないんだ。仕事も、カノジョとの関係も、お金も、全部僕を見放していくようなことばっかりで・・・。もうお先真っ暗で、自分に愛想をつかしたよ」

ラウラはため息をつくパブロの前でポケットに手を入れ、新品の500ユーロ札(約8万円)を彼に見せた。「パブロ、これ欲しい?」



パブロは目を丸くして答えた。
「当然だよ。500ユーロ札だぜ。誰が欲しくないもんか」

そこでラウラはその新品のお札を片手の中に揉みいれ、くしゃくしゃにした。
そして、もっと目を丸くしているパブロにそのお札を広げて見せて言った。
「パブロ、あなたまだこのお札欲しい?」

ラウラが何を言いたいのか解せないままパブロは答えた。
「当然だよ。500ユーロ札には変わりないんだから、くれるんならもらうよ」

ラウラは次に、くしゃくしゃのお札を床に落とし、靴で踏みにじって汚くした。
さっきの真新しかった500ユーロ札はよれよれのお札になっていた。
「パブロ、まだこのお札欲しい?」

パブロにはこの展開の意味が全く理解できなかったが、ラウラに答えた。
「ラウラ、君が何をしようとしているのか僕にはわからない。
でもどんなに汚くても破らない限り500ユーロの価値は変わらないんだから欲しいよ。」

「パブロ、時には自分の思うように事が運ばなくて、人生がくしゃくしゃになったり、踏み潰されているような気がするときがあっても、あなたは以前と同じ価値を持った人間だっていうことを忘れちゃダメよ。

自問するなら、今どれだけ傷つき打撃を受けているかではなくて、本来の自分はどれだけ価値のある人間か、なのよ」



パブロはこのラウラの言葉に返す言葉を失った。それほど彼女の言葉は新鮮な輝きをもって彼の心に沁みこんでいった。

そんなパブロに、ラウラは広げたお札を渡して微笑んだ。
「はい。これあなたにあげるわ。次に気弱になったときに今日のことを思い出せるようにね。でもあなたは私に新品の500ユーロ札の借りをつくったこと、忘れないでね。次にあなたのようになった友達を元気づけるのに使うんだから」

そう言うとラウラはパブロの頬にキスをして出て行った。

パブロはもう一度お札に目を落とし、クスリと笑ってポケットに入れた。新たなエネルギーに満たされた彼はウェイターを呼んで勘定を頼んだ。




わたしの目にあなたは価高く、貴く、
わたしはあなたを愛し、
あなたの身代わりとして人を与え
国々をあなたの魂の代わりとする。 (イザヤ書43章4節)


今日このブログを訪れてくれたあなたに、神様の恵みがあふれますように。
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Orissa の迫害

インドの東岸、貧しいが美しい街オリッサでこんなことが起こっていた。

2007年12月23日、ヒンズー教至上主義団体の Hindutva が「キリスト教を廃止せよ、キリスト者を殺せ」というスローガンを掲げて行進した。そこで現地のキリスト教会の責任者たちは地元警察に赴いて事情を話し、保護を求めた。警察は彼らを護り、事態をコントロールすることを約束した。

にもかかわらず。

クリスマスイブの12月24日、日中から街にはヒンズー教を讃える声が響き渡り、店は強制的に閉ざされた。その夜、彼らは木を切り倒して道を封鎖し、電気と電話の供給線を破壊した。

12月25日、クリスチャン達はふたたび警察に訴え、保護を求めた。その日、200人ほどで教会に集まりクリスマスの祈りを捧げていた午後2時30分と4時に暴徒が教会に接近した。暴徒達は4000人もの群集で、額にTilaksのシンボルマーク(宗教的シンボル)を着けたヒンズー主義者たちだった。



「彼らは教会のドアを打ち壊しました。私たちは恐怖に襲われて一斉に走り出しました。つまづいて転んでもなお逃げ続けました。女も男も威嚇され、暴行を受けました。その中にこう叫ぶ声が響いていました。“キリスト教徒はヒンズー教に改宗するか死ぬかのどちらかだ。やつらを殺せ!やつらを殺せ!やつらを殺せ!やつらの信仰をぶち壊せ!”」(後略。オリジナル:http://www.worldproutassembly.org/archives/2008/01/riots_in_orissa.html)

この日、4人のキリスト者が命を落とし、730軒の家と95件の教会が焼かれた。このような残虐なクリスマスを過ごしていたインドの状況は今まで全く知らずにいたものの、こうした状況はその後コントロールされるどころか悪化し続けている。

放火される教会

今月7日の聖日礼拝中には2000人の礼拝者が襲撃され、10日の夜には一晩で20件のクリスチャンの家が放火され、70人もの信者が強制的にヒンズー教に改宗させられた。暴徒達は隙があると教会関係者を拉致し暴行する。夫を拉致された妊婦が彼を助けようとして腹部を強く蹴られ、現在入院中という報告もある。

焼け出されたクリスチャンの家

逃げ惑うクリスチャンは、街の外に出る道が封鎖されているため、野獣が住むジャングルに逃れるしかない。何とか救済キャンプに着いた人々も、飲み水に毒が流しこまれたため、そこで命の危機に瀕している。(http://www.onenewsnow.com/Persecution/Default.aspx?id=245382 より)

 消失したカトリック孤児院

今月初旬、その身にガソリンを振りまかれて生きたまま焼死させられた、20歳の女性 Ms. Rajni Majhi はカトリック系孤児院の中に住み込んで子供達のために献身的に働いていた。そこへ700人ほどの暴徒が押しかけ、神父と彼女を別々の密室に閉じ込めて火をつけた。神父は何とか自力で消化でき命拾いできたが、Rajniは助からなかった。この事件の記録はあまりにも重く、とても訳文をつけることができないほどです。(http://theblackcordelias.wordpress.com/?s=orissa)

どうしてこのような事態になってしまったのか。警察は何をしているのか、そして政府は・・・。そう思うものの、90%以上の国民がヒンズー教徒であり、キリスト教は2.5%という事情にカースト制がからみ、彼らの保護は人からはなかなか届かない。彼らに必要なのはまさに神からの助け以外にないのです。

共に、彼らの身が護られて国が変えられるよう祈りを捧げ続けることこそ、私たちに唯一でき、必要とされていることだと思います。




現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、
たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、
わたしたちとっては、唯一の神、父である神がおられ、
万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰っていくのです。
コリントの信徒への手紙 8章5-6節


前回と今回、多少長い文になってしまいましたが、次回は以前のようなストーリをご紹介します。

今日このブログを訪れてくださったあなたに、神のご加護がありますように。


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